くるし・い【苦】
〘形口〙 くる

し 〘形シク〙
① 身体の
状態や
生活などが思わしくなく、身に
苦痛を感じている。難儀である。
※
書紀(720)継体二一年八月(前田本訓)「民を
塗炭(クルシキ)に拯
(すく)ふ。彼も此も一時なり」
※大観本謡曲・
土蜘蛛(1570頃)「病ふは苦しき習ひながら、
療治によりて癒る事の、例は多き世の中に」
② かなわない願いや悲しみ、
後悔などで心が痛む。つらい。せつない。
※
万葉(8C後)二・二二九「難波潟潮干な有りそね沈みにし妹が姿を見まく苦流思
(クルシ)も」
※
落窪(10C後)三「脚
(あし)の気
(け)起りて装束することのくるしければなん」
④ 気を使ったり心を配ったりするさまである。
心配である。
※
源氏(1001‐14頃)
紅葉賀「何くれと宣ふも似げなく『人や見つけん』とくるしきを」
⑤ 差支えがある。はばかりがある。都合が悪い。また、そう感じさせるような怪しさがある。多く否定的表現を伴って用いる。→
くるしゅう(苦)ない。
※
平家(13C前)七「
其人ならばくるしかるまじ。いれ申せ」
⑥ どう処理していいかわからないで困っている。困難なことがあってつらい。
苦境にある。
※万葉(8C後)三・二六五「苦(くるしく)も降りくる雨か神(みわ)の崎狭野(さの)の渡りに家もあらなくに」
※十五年間(1946)〈
太宰治〉「戦争成金のほかは、誰しも今は苦しいのだから」
⑦ 人に不愉快な
気持を起こさせるさまである。見ぐるしい。聞きぐるしい。
※大鏡(12C前)三「御前なる苦しき物とりやり、おほとのこもりたる所ひきつくろひなどして」
⑧ 無理にととのえるさまである。無理にこじつけるさまである。
⑨ (接尾語的に用いる。「ぐるしい」とも)
動詞の
連用形のあとについて、その動詞の行為をするのが、不愉快である、いやである、しにくい、などの意味を表わす。
※万葉(8C後)一四・三四八一「あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ具流之(グルシ)も」
[語誌](1)痛みの耐えがたさに
心身の安定を失うのが
原義で、「くるふ(狂)」の「くる」と同根か。
(2)⑤の否定表現を伴う
用法は、
中世から見られるようになるが、
近世の後期頃には「くるしく(う)ない」の形でもっぱら
武士ことばとして用いられた。
くるし‐が・る
〘自ラ五(四)〙
くるし‐げ
〘形動〙
くるしげ‐さ
〘名〙
くるし‐さ
〘名〙
く【苦】
〘名〙
① 苦しみ。なやみ。苦悩。
※性霊集‐二(835頃)大唐青龍寺故三朝国師碑「経レ寒経レ暑 不レ告二其苦一」 〔列子‐天端〕
② ほねおり。労苦。苦労。
※和英語林集成(初版)(1867)「Ku(ク)ヲ シテ ノチヲ ラクニ クラセヨ」 〔漢書‐楊惲伝〕
※狭衣物語(1069‐77頃か)一「言ひもて行けば、ただ、女のくにて侍らんかし」
④ 仏語。人が、自分のもつ煩悩や悪い行ないのために、その報いとして受ける苦しみ。四苦、八苦など、さまざまな数え方がある。
※栄花(1028‐92頃)玉のうてな「心と事とあひかなへば、愛別離の苦もなし」
にが・い【苦】
〘形口〙 にが・し 〘形ク〙
① 味覚について、舌を刺激し、不快な感じのあるさま。
※大智度論天安二年点(858)六七「薬苦を服して当時に苦(ニカシ)と雖も、後に患を除することを得るがごとし」
② ①の味に似て、不快である。面白くない。不機嫌である。いとわしい。にがにがしい。
※浮世草子・好色一代女(1686)二「おまへさまの傾城ぐるひなされますかといへば、田舎大尽にがい㒵(かほ)をして」
③ つらい。くるしい。また、痛み、悔いなどを伴った気持であるさま。
※冷笑(1909‐10)〈永井荷風〉二「よし幾多の苦味(ニガ)い経験と悲哀と悔悟とに出会っても」
にが‐げ
〘形動〙
にが‐さ
〘名〙
くるし‐・む【苦】
[1] 〘自マ五(四)〙
① 心身に苦痛を感じたり生活が貧しくて、つらく、苦しいと思う。悩む。
※古事記(712)下「是を以ちて百姓栄えて、役使に苦しまずありき」
② どう処理していいかわからないで困る。窮する。
※日本絵画の未来(1890)〈外山正一〉今の画人は画題に困しめるものなり「画題に困しまざるものは」
③ 苦労して物事を行なう。骨を折る。
※西洋道中膝栗毛(1874‐76)〈総生寛〉一二「俳諧の点取や運坐でくるしんで」
くるし‐・める【苦】
〘他マ下一〙 くるし・む 〘他マ下二〙
① 体や心に苦痛を与える。苦労や心配をかける。
※書紀(720)景行四〇年(北野本南北朝期訓)「山神(やまのかみ)、王(きみ)を苦(クルシメ)たてまつりて」
※源氏(1001‐14頃)乙女「学問などに身をくるしめむことは、いと遠くなむ、思(おぼ)ゆべかめる」
② 相手が処置に困るようにする。閉口させる。
※落窪(10C後)二「あやしく戸内にさしたるか。翁をくるしめ給ふにこそありけれ」
にが・む【苦】
[1] 〘自マ四〙
① にがにがしく思う。不快に思ってにがにがしい顔つきや態度になる。興ざめする。にがる。
※宇津保(970‐999頃)楼上下「みるにいよいよいとわびしう心ちあしうなりて、『いかにつかまつらん』とてにがみて、とみにも取らねば」
② しわがよる。
※宇治拾遺(1221頃)四「あたたかなるとき、すをかけつれば、すむつかりとて、にがみてよくはさまるる也」
にが【苦】
[1] 〘名〙 (形容詞「にがい」の語幹から)
① 憎まれ口。毒舌。いやみ。にがぐち。
※洒落本・秘事真告(1757頃)嶋の内の相「粋だをしにたをされたと、憎言(ニガ)をはなす者もあらん」
[2] 〘語素〙
① にがいの意を表わす。「にがしお」「にがたけ」「にがざけ」など。
② にがにがしい、不快であるの意を表わす。「にがて」「にがぐち」「にがざれ」「にがわらい」など。
くるしみ【苦】
〘名〙 (動詞「くるしむ(苦)」の連用形の名詞化) 苦しむこと。なやみ。くるしび。
※類聚国史‐一九四・渤海下・天長元年(824)二月壬午「送迎るにも、百姓の苦美(くるしミ)有に依てなも」
※源氏(1001‐14頃)明石「辛(から)きめを見る折々も多く侍れど、更にくるしみと思ひ侍らず」
くるしび【苦】
※書紀(720)神代下(鴨脚本訓)「困苦(クルシヒ)の根とのたまひて、後に与えたまへ」
※御伽草子・物くさ太郎(室町末)「神は本地をあらはせば、三熱のくるしびをさまして」
くるし‐・ぶ【苦】
※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)九「此の経王を聴かむが為には、直に過ぎて辞(はばか)り苦(クルシフ)こと無かれ」
にが・める【苦】
〘他マ下一〙 にが・む 〘他マ下二〙 きらって顔などをしかめる。にがにがしく思っているという態度をとる。
※源平盛衰記(14C前)四「山門の僉議と申事は〈略〉先王の舞を舞ふなるには、面摸の下にて鼻をにがむる事に侍る也」
にが・る【苦】
〘自ラ五(四)〙 にがにがしく思う。また、そのような顔をする。興ざめする。にがむ。
※今昔(1120頃か)二八「不然ざらむ人は、極て苦りて此も彼も、否不云で居たらむは」
くる
し【苦】
にがり【苦】
〘名〙 (動詞「にがる(苦)」の連用形の名詞化) にがること。にがみ。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「苦」の意味・読み・例文・類語
く【苦】
1 心身につらく感じること。くるしみ。苦労。「苦あれば楽あり」「生活苦」
2 仏教における基本理念の一。煩悩や悪い行為などの報いとして受ける心身の苦しみ。→八苦
にが【苦】
《形容詞「にがい」の語幹から》憎まれ口。いやみ。にがぐち。
「必ず後悔さっしゃるなと―を放して」〈浄・矢口渡〉
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苦
く
人生における苦しみ、悩み。苦はすべての人生の根本問題であり、苦を知り体験することによって、人間の生がより深く明らかになる、ということもできる。苦の問題に正面から取り組むのが宗教であり、宗教は、いかに人間の物質生活が満たされても、なお、残る苦の超克を課題として生まれ、成立している。苦の究極の原因は、一言でいえば、人間の有限性にある。キリスト教は被造物としての人間を、仏教は迷いの存在、あるいは人間のもつ自己矛盾・自己否定のあり方を、苦の根底に据える。仏教の四苦八苦はよく知られているが、それは、生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会(おんぞうえ)苦・求不得(ぐふとく)苦・五蘊盛(ごうんじょう)苦を加えたものをいう。さらに一切皆(いっさいかい)苦を諸行無常・諸法無我と結び付けてとらえ、あるいは苦を、身体に感ずるものと、心に感ずるもの、また対象にかかわるものと、自らによるものなどに分類する。
つねに有限でしかありえない人間が無限を求めるのは明らかに矛盾であり、この根源的な矛盾を宗教は知的論理を超えて救済ないし悟りに導こうとする。日常の一時的で表層的な苦は、他によって粉飾され、忘れて通過されたりもするが、生そのものの苦はあくまでも深く、純粋な心に基づく信、ある啓示ないし直観による自己の転換、苦の徹底的な自覚、修行への沈潜その他によって、かえってその苦を超克しえた楽の頂もまた高い。
[三枝充悳]
『仏教思想研究会編『苦』(1980・平楽寺書店)』
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く【苦】
インド古代祭儀文化をつたえるベーダ文献の中の後期文献に,〈苦(duḥkha)〉という語が,はじめて用いられている。ここにおいて〈苦〉とは,インド古代祭儀文化の円環的周期性が漸次に堕落して無始無終の生死流転(輪廻)の様相を呈するようになってきたときの輪廻の本質を表現する語である。とくに輪廻の過程において生まれてきては老いぼれ死にゆく衆生の存在が〈苦〉であると体験された。古ウパニシャッドを代表する哲人であるヤージュニャバルキヤは,ウパニシャッドのブラフマンすなわちアートマン(梵我一如)の真理を〈知るひとびとは不死の生命を得,そうでないひとびとは“苦”に沈淪する〉という。
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苦
く
duḥkha
精神的,肉体的な苦しみをいう。われらの欲するがままにならないこと。ヒンドゥー教のなかでも人生を苦であるとし,それからの解放を説く場合もあるが,仏教 (ならびにジャイナ教) では,特にこの世はすべて苦 (一切皆苦) であるとみることを強調する。この現実世界はすべて苦であり,その苦の原因は各人が本能的にもつ欲望であり,欲望を制御することがそのまま,苦をなくすことであり,悟りである。そのためには正しい見解 (→正見 ) 以下8つの正しい方法があるとする (→八正道 ) 。古来,苦を分析的にとらえて,二,三,四,八苦などその他種々の苦を立てる。 (→四苦八苦 )
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苦【く】
仏教で人間の心身を悩ます状態をいう。その軽微なものを憂(う)という。仏陀(ぶっだ)は人生の基本的なありようを苦と見,これを苦諦(くたい)(苦聖諦)といった。苦の原因が集(しゅう)(集諦)とされる。
→関連項目惑業苦
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世界大百科事典内の苦の言及
【説一切有部】より
…これは現代では心理的影響と考えられるが,有部はこれを物質とみたところに特徴がある。 有部は人間の苦の直接の原因を,誤った行為(業)とみ,その究極の原因を煩悩(惑)と考えた。すなわち人間の存在を惑→業→苦の連鎖とみる(これを業感縁起という)。…
※「苦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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