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「推古天皇」の検索結果

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推古天皇 すいこてんのう

旺文社日本史事典 三訂版
554〜6286〜7世紀前期の女帝(在位592〜628)欽明天皇の皇女,母は蘇我稲目の娘堅塩媛 (きたしひめ) 。敏達 (びたつ) 天皇の皇后となり,592年崇峻…

推古天皇 (すいこてんのう)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
554-628 飛鳥(あすか)時代,第33代天皇。在位593*-628。欽明(きんめい)天皇15年生まれ。欽明天皇の第2皇女。母は蘇我堅塩媛(そがの-きたしひめ)。用…

推古天皇【すいこてんのう】

百科事典マイペディア
古代の天皇。最初の女帝。欽明天皇の皇女。母は蘇我堅塩媛(きたしひめ)。敏達(びだつ)天皇の皇后となる。592年崇峻(すしゅん)天皇が蘇我馬子に殺され…

すいこ‐てんのう〔‐テンワウ〕【推古天皇】

デジタル大辞泉
[554~628]第33代天皇。在位593~628。欽明天皇の第3皇女。名は豊御食炊屋姫とよみけかしきやひめ。敏達天皇の皇后となり、崇峻天皇が蘇我馬子そが…

推古天皇 すいこてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]欽明15(554).大和[没]推古36(628).3.7. 大和第 33代の天皇,女帝 (在位 592~628) 。欽明天皇の第3皇女,母は蘇我稲目の娘,皇太夫人堅塩媛 (き…

すいこ‐てんのう(‥テンワウ)【推古天皇】

精選版 日本国語大辞典
第三三代と伝えられる天皇(在位五九二‐六二八)。女帝。欽明天皇の第三皇女。母は蘇我稲目の娘堅塩媛(きたしひめ)。名は額田部、豊御食炊屋姫命(と…

推古天皇

朝日日本歴史人物事典
没年:推古36.3.7(628.4.15) 生年:欽明15(554) 飛鳥時代の女帝。在位は崇峻5(592)年12月から推古36(628)年3月。幼名は額田部皇女。欽明天皇と蘇我稲…

推古天皇 すいこてんのう (554―628)

日本大百科全書(ニッポニカ)
女帝。第33代とされる天皇(在位592~628)。名は額田部(ぬかたべ)。和風諡号(しごう)は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)天皇。わが国で最初の女…

推古天皇 (すいこてんのう) 生没年:554-628

改訂新版 世界大百科事典
6世紀末~7世紀初の天皇。第33代に数えられる日本最初の女帝。在位592-628年。幼名を額田部(ぬかたべ)皇女といい,和風諡号(しごう)は豊御食炊屋…

推古天皇 すいこてんのう

山川 日本史小辞典 改訂新版
554~628.3.7在位592.12.8~628.3.7記紀系譜上の第33代天皇。額田部皇女・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)天皇と称する。欽明天皇の皇女。母は蘇…

高松古墳たかまつこふん

日本歴史地名大系
大阪府:南河内郡太子町山田村高松古墳[現]太子町山田推古天皇陵に治定される。金剛山地から派生した台地状丘陵の西端に位置する方墳。墳丘は東西…

えじ〔ヱジ〕【慧慈】

デジタル大辞泉
[?~623]高麗の僧。推古天皇3年(595)に来日、聖徳太子の師となり、法興寺で仏法を説いた。推古天皇23年(615)帰国。太子の「法華義疏ほっけぎし…

豊御食炊屋姫 とよみけかしきやひめ

日本大百科全書(ニッポニカ)
→推古天皇

額田部女王 ぬかたべのひめみこ

日本大百科全書(ニッポニカ)
→推古天皇

推古朝【すいこちょう】

百科事典マイペディア
→推古天皇/飛鳥時代

阿倍摩侶 (あべの-まろ)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏。推古天皇32年(624)葛城県(かずらきのあがた)をもらいたいという蘇我馬子の希望を天皇につたえる。推古天皇の死後,蘇…

境部摩理勢 (さかいべの-まりせ)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
?-628 飛鳥(あすか)時代の官吏。蘇我馬子(そがの-うまこ)の弟。蘇我蝦夷(えみし)の叔父。推古天皇20年蘇我堅塩媛(きたしひめ)改葬のとき,一族を代…

小墾田宮【おはりだのみや】

百科事典マイペディア
推古天皇の皇居。《日本書紀》によると,推古天皇11年,天皇は豊浦(とゆら)宮から小墾田宮に移った。宮には南門・庭・庁・大門・大殿などの施設があ…

豊浦宮とゆらのみや

日本歴史地名大系
奈良県:高市郡明日香村豊浦村豊浦宮[現]明日香村大字豊浦飛鳥川左岸、豊浦(とようら)集落の内に比定される。推古天皇の皇居。「日本書紀」推古…

豊御食炊屋姫尊 (とよみけかしきやひめのみこと)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
⇒推古天皇(すいこてんのう)

けんずい‐し【遣隋使】

精選版 日本国語大辞典
〘 名詞 〙 推古天皇の時、中国文化を輸入するため、日本から隋に派遣された使節。第一次は推古天皇一五年(六〇七)小野妹子(一六年四月帰朝)、第…

おはりだ‐の‐みや〔をはりだ‐〕【小墾田宮】

デジタル大辞泉
奈良県高市郡明日香村あすかむらにあったとされる推古天皇と皇極天皇の皇居。

すいこてんのうりょう【推古天皇陵】

国指定史跡ガイド
⇒山田高塚古墳(やまだたかつかこふん)

とゆら‐の‐みや【豊浦宮】

デジタル大辞泉
奈良県高市郡明日香村豊浦にあったとされる推古天皇の皇居。

すいこ‐じだい【推古時代】

精選版 日本国語大辞典
飛鳥(あすか)時代の中で、特に推古天皇の時代(五九二‐六二八)をさしてよんだもの。聖徳太子が皇太子・摂政となって、蘇我馬子とともに数多くの事業…

豊浦宮 とゆらのみや

日本大百科全書(ニッポニカ)
奈良県明日香(あすか)村豊浦付近にあったと推定される推古(すいこ)天皇の宮室。592年(崇峻天皇5)12月、豊浦宮に即位した推古天皇は、以後2世紀にわ…

来目皇子 (くめのおうじ)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
?-603 飛鳥(あすか)時代,用明天皇の第2皇子。母は穴穂部間人(あなほべのはしひとの)皇女。聖徳太子の弟。「日本書紀」によると,推古天皇10年撃新羅…

いかるが‐の‐みや【斑鳩宮】

精選版 日本国語大辞典
推古天皇九年(六〇一)に聖徳太子の造営した宮殿。法隆寺の東院遺跡の下層がその跡といわれる。

くめ‐の‐おうじ(‥ワウジ)【来目皇子】

精選版 日本国語大辞典
用明天皇の皇子。聖徳太子の同母弟。推古天皇の代に、将軍として新羅(しらぎ)征伐に向かう途中、筑紫で病没。推古一一年(六〇三)没。

いかるが‐の‐みや【斑鳩宮】

デジタル大辞泉
推古天皇9年(601)に、聖徳太子が造営した宮殿。奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺の東院がその跡といわれる。

じょせい‐てんのう〔ヂヨセイテンワウ〕【女性天皇】

デジタル大辞泉
女性の天皇。女帝。→女系天皇[補説]これまでに推古天皇・持統天皇など10代8人が即位しているが、すべて父方に天皇の血筋をもつ男系の女性天皇である。

清瀧寺〔茨城県〕

デジタル大辞泉プラス
茨城県土浦市にある寺院。真言宗豊山派。山号は南明山。本尊は聖観世音。推古天皇の時代の創建と伝わる。

あさ‐たいし【阿佐太子】

デジタル大辞泉
百済くだらの王子。推古天皇5年(597)来朝し、聖徳太子に会うや救世くせ観音の化身であると合掌したと伝えられる。

臘嘴鳥皇子 (あとりのおうじ)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
?-? 記・紀にみえる欽明(きんめい)天皇の皇子。母は蘇我堅塩媛(そがの-きたしひめ)で,兄に用明天皇,妹に推古天皇がいる。「古事記」では足取王。

阿倍鳥 (あべの-とり)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏。推古天皇16年(608)に来日した隋使(ずいし)裴世清(はい-せいせい)の案内役をつとめ,18年朝鮮の新羅(しらぎ)使,任那(み…

とゆら‐の‐みや【豊浦宮】

精選版 日本国語大辞典
奈良県高市郡明日香村豊浦にあったといわれる推古天皇の皇居。即位から小墾田(おはりだ)宮に移るまで約一〇年間の皇居。

ちょうふく‐じ(チャウフク‥)【長福寺】

精選版 日本国語大辞典
奈良県生駒市俵口町にある真言律宗の寺。山号は金龍山。推古天皇二五年(六一七)聖徳太子の創建と伝えられる。寺宝の金銅能作生塔は国宝。

穴穂部皇子 あなほべのおうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]用明2(587).6.7. 大和欽明天皇の皇子。用明天皇没後,物部守屋と結び皇位を望んだが,推古天皇を奉じた蘇我馬子らに殺された。

いよおんとう‐ひぶん〔いよヲンタウ‐〕【伊予温湯碑文】

デジタル大辞泉
推古天皇4年(596)に聖徳太子が伊予の道後温泉を訪れたことを記した碑文。現存しないが、その銘文は「釈日本紀」に引用されている。

いぬかみ‐の‐みたすき【犬上御田鍬】

デジタル大辞泉
飛鳥時代の官人。推古天皇22年(614)遣隋使として中国に渡り、翌年帰国。舒明天皇2年(630)には第1回遣唐使として渡り、同4年に帰国。生没年未詳。

覚哿 (かくか)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
?-? 百済(くだら)(朝鮮)の儒学者。「日本書紀」によれば,推古天皇元年(593)聖徳太子に儒教の経典をおしえたという。

八口采女鮪女 (やくちのうねめ-しびめ)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
?-? 飛鳥(あすか)時代の女官。推古天皇36年(628)天皇の病床に近侍した。皇位継承に関する天皇の言葉を山背大兄(やましろのおおえの)王につたえた。

おはりだ‐の‐みや(をはりだ‥)【小墾田宮】

精選版 日本国語大辞典
推古天皇、皇極天皇の皇居。推古天皇一一年(六〇三)、豊浦宮から移り、崩御まで一六年間都とする。のち、皇極天皇元年(六四二)、再び都となった…

甘樫坐神社あまかしにいますじんじや

日本歴史地名大系
奈良県:高市郡明日香村豊浦村甘樫坐神社[現]明日香村大字豊浦小字寺内甘樫丘の北西麓に鎮座。祭神は大禍津日(おおまがつひ)神・神直日(かむな…

はた‐の‐かわかつ【秦河勝】

精選版 日本国語大辞典
七世紀前半、推古朝の人。聖徳太子の舎人。推古天皇一八年(六一〇)新羅の使者の接待役を勤めた。また、広隆寺(蜂岡寺)を創建したといわれる。生…

いかるが‐でら【斑鳩寺】

デジタル大辞泉
法隆寺の異称。兵庫県揖保いぼ郡太子町にある天台宗の寺。推古天皇よりこの地を賜った聖徳太子が創建。もと大和の法隆寺の別院。

おの‐の‐いもこ〔をの‐〕【小野妹子】

デジタル大辞泉
日本最初の遣隋大使。推古天皇15年(607)隋に渡り、翌年、隋使裴世清はいせいせいとともに帰国。同年、再び渡海。生没年未詳。→遣隋使

じもく‐じ【甚目寺】

デジタル大辞泉
愛知県あま市にある真言宗智山派の寺。山号は鳳凰山。推古天皇5年(597)伊勢の海士あま甚目竜麻呂はだめたつまろが海中より観音像を得て創建したと…

けんぽう‐じゅうしちじょう〔ケンパフジフシチデウ〕【憲法十七条】

デジタル大辞泉
推古天皇12年(604)聖徳太子が制定したと伝えられる日本最初の成文法。和の精神、君臣の道徳を説き、官吏・貴族の守るべき道徳的訓戒を十七か条に記…

大友高聡 (おおともの-こうそう)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
?-? 飛鳥(あすか)時代の天文家。推古天皇10年(602)渡来した百済(くだら)(朝鮮)の僧観勒(かんろく)について天文や遁甲(とんこう)術をまなんだ。

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

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