憲法十七条(読み)けんぽうじゅうしちじょう

精選版 日本国語大辞典 「憲法十七条」の意味・読み・例文・類語

けんぽう‐じゅうしちじょう ケンパフジフシチデウ【憲法十七条】

推古天皇一二年(六〇四)、聖徳太子制定したわが国最初の成文法官吏貴族の守るべき道徳的な訓戒を一七か条に漢文で書いたもの。十七条憲法
神皇正統記(1339‐43)中「十七年己巳に憲法十七ケ条をつくりて奏し給」

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デジタル大辞泉 「憲法十七条」の意味・読み・例文・類語

けんぽう‐じゅうしちじょう〔ケンパフジフシチデウ〕【憲法十七条】

推古天皇12年(604)聖徳太子が制定したと伝えられる日本最初の成文法。和の精神君臣の道徳を説き、官吏・貴族の守るべき道徳的訓戒を十七か条に記したもの。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「憲法十七条」の解説

憲法十七条
けんぽうじゅうしちじょう

十七条憲法とも。604年(推古12)に聖徳太子が作ったとされる法令。「日本書紀」同年4月条に全文を載せる。のちの律令や近代法とは異なり,官人に対する道徳的訓戒や臣下としての服務規律をまとめたもので,普遍的人倫としての和の尊重を説いた第1条以下,君臣関係の絶対性や臣下相互の協調,官人の心構え,民への慈愛などをのべる。その多くは儒教思想にもとづくが,三宝(仏法僧)を敬えとする第2条などは仏教思想であり,信賞必罰(第11条)や公私の峻別(第12・15条)を強調する点には法家の影響も認められる。官人に対する君主の道徳的訓戒は,中国南北朝時代の六条詔書などの例があり,その影響をうけた可能性が指摘される。江戸時代から偽作説があり,律令国家が形成される段階で太子に仮託して作られたとする見解もあるが,必ずしも説得的ではない。文体からは古い時代の特色も指摘され,推古朝時代のものとして扱うのがふつう。古代の日本で官僚制が成立するのは,大化の改新後7世紀後半のことで,推古朝の国制の基本は族制的な結合にもとづく世襲制であったが,他方この時期には,朝廷の品部(しなべ)が官司のようなかたちで整備されるなど,すでに官僚制的な政治機構の萌芽がうまれつつあった。前年の603年に冠位十二階が制定されたこともそうした動きに関連し,憲法十七条の制定と軌を一にしている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「憲法十七条」の解説

憲法十七条
けんぽうじゅうしちじょう

飛鳥時代,聖徳太子が制定した道徳的規範を中心とする法令
604年発布。内容は「和を以って貴しとなす」から始まり,官吏の服務などの訓戒を示し,国家理念と人間の在り方を説いた。天皇中心の中央集権国家の形成を意図したもので,儒教・法家思想をはじめ仏教思想の影響もうかがえる。

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改訂新版 世界大百科事典 「憲法十七条」の意味・わかりやすい解説

憲法十七条 (けんぽうじゅうしちじょう)

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百科事典マイペディア 「憲法十七条」の意味・わかりやすい解説

憲法十七条【けんぽうじゅうしちじょう】

十七条憲法

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世界大百科事典(旧版)内の憲法十七条の言及

【十七条憲法】より

…7世紀初めに聖徳太子が作ったと伝える法制で,日本最初の成文法とされる。《日本書紀》推古12年(604)4月戊辰条には,〈皇太子親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法十七条を作る〉として,以下に17ヵ条から成る長文の条例の文章を掲げており,これがふつう十七条憲法と呼ばれている。その内容は法制とはいっても近代の憲法や法律規定とはやや異なり,むしろ一般的な訓戒を述べたもので,当時の朝廷に仕える諸氏族の人々に対して,守るべき態度・行為の規範を示した官人服務規定ともいうべきものである。…

※「憲法十七条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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