境部摩理勢
さかいべのまりせ
(?―628)
飛鳥(あすか)時代の高官。蘇我臣馬子(そがのおみうまこ)の弟、毛人(えみし)(蝦夷)の叔父。612年(推古天皇20)欽明(きんめい)天皇大后堅塩媛(きたしひめ)の改葬にあたり、蘇我一族を代表し、氏姓の由来を誄(しのびごと)した。推古(すいこ)女帝の没後、次の天皇に山背大兄(やましろのおおえ)皇子を推し、田村(たむら)皇子(舒明(じょめい)天皇)を推す毛人らと対立し、嶋大臣(しまのおおおみ)(馬子)の造墓所からも退いた。ために毛人の説得を受けたが拒否したので、子の阿椰(あや)とともに殺され、長子の毛津(けつ)も自殺した。
[門脇禎二]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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境部摩理勢 (さかいべのまりせ)
生没年:?-628(推古36)
飛鳥時代の廷臣。蘇我境部摩理勢とも称し蘇我馬子の弟,毛人(蝦夷)(えみし)の叔父。612年(推古20)欽明天皇の大后であった蘇我氏出身の堅塩媛(きたしひめ)を改葬した際,蘇我一族を代表して氏姓の本を述べた。推古女帝の死後,次の天皇に聖徳太子の子の山背大兄王を推し,田村皇子(舒明天皇)を推す蘇我毛人(蝦夷)らと対立し,嶋大臣(馬子)の造墓所からも退いた。そのため,毛人の軍勢にその子とともに攻め殺された。
執筆者:門脇 禎二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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境部摩理勢 さかいべの-まりせ
?-628 飛鳥(あすか)時代の官吏。
蘇我馬子(そがの-うまこ)の弟。蘇我蝦夷(えみし)の叔父。推古天皇20年蘇我堅塩媛(きたしひめ)改葬のとき,一族を代表して氏(うじ)と姓(かばね)の由来について誄(しのびごと)をのべた。推古天皇の後継者選びでは,山背大兄(やましろのおおえの)王を推し,田村(たむらの)皇子(舒明(じょめい)天皇)を推す蝦夷らと対立し,推古天皇36年殺された。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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