出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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聖徳太子が601年(推古天皇9)斑鳩(奈良県生駒(いこま)郡斑鳩町)に営んだ宮室。643年(皇極天皇2)蘇我入鹿(そがのいるか)の兵によって焼き払われ、いったん逃れた太子の長子山背大兄王(やましろのおおえのおう)も一族とともに法隆寺で自殺した。『法隆寺東院縁起』によれば、739年(天平11)行信僧都(ぎょうしんそうず)の奏上によって宮跡に東院伽藍(がらん)がつくられた。1939年(昭和14)東院の修理工事に際してその地下から発見された一群の掘立て柱建物は、焼け瓦(がわら)、焼け壁土、灰などを伴っていて、斑鳩宮の一部であると推定されている。
[中尾芳治]
『浅野清著『古寺解体』(1969・学生社)』
推古朝から皇極朝にかけて厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)と山背大兄王(やましろのおおえのおう)の親子を中心とする一族が居住した皇子宮(みこのみや)。601年(推古9)太子は宮室を斑鳩にたて,605年に遷居,622年に同地で没したという。宮はその後,子の山背大兄王に伝領され,643年(皇極2)蘇我入鹿(そがのいるか)らの斑鳩襲撃により焼失した。狭義には法隆寺東院の地下遺構を示すが,広義には上宮王家の一族が分散居住する岡本宮・中宮・飽浪宮(あくなみのみや)を含めた総称。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…奈良盆地の中西部から矢田丘陵の南半部を占める。町名は聖徳太子によって造営された斑鳩宮に由来する。町の中央部に位置する法隆寺は,現存する世界最古の木造建築として有名で,日本の古代美術の宝庫である。…
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[飛鳥・奈良時代]
この時代の住居資料も多くは発掘調査によっている。法隆寺東院の地下で発見された斑鳩宮(いかるがのみや)の遺跡は,掘立柱を用いた数棟の建物が計画的に配置され,整った外観を示していたものと思われる。 平城京跡からも住居の遺跡が数多く発見されている。…
… 西院伽藍の東方に隣接する東院伽藍は上宮王院といい,八角円堂の夢殿と伝法堂・絵殿・舎利殿よりなる。夢殿は,643年(皇極2)蘇我入鹿の手により焼亡した太子の斑鳩宮(いかるがのみや)跡に,739年(天平11)僧行信により造営され,北魏様式の救世観音像を安置してあることにより著名である。夢殿の背後には馬道を中央にして二つに区別された舎利殿と絵殿がある。…
…法隆寺東院の中心にある堂。東院伽藍は聖徳太子の斑鳩宮(いかるがのみや)のあった所で,太子一族滅亡の後荒廃していたのを,738年(天平10)ころ行信が造営した。夢殿の名は,斑鳩宮に同名の建物があり,聖徳太子が時々その中にこもり政事や仏教に思いをめぐらせたが,そのとき金人(仏像)が現れて妙義を告げたという伝説にもとづく。…
※「斑鳩宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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