犬上御田鍬(読み)イヌカミノミタスキ

デジタル大辞泉 「犬上御田鍬」の意味・読み・例文・類語

いぬかみ‐の‐みたすき【犬上御田鍬】

飛鳥時代官人推古天皇22年(614)遣隋使として中国に渡り、翌年帰国舒明天皇2年(630)には第1回遣唐使として渡り、同4年に帰国。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「犬上御田鍬」の意味・読み・例文・類語

いぬかみ‐の‐みたすき【犬上御田鍬・犬上三田耜】

  1. 飛鳥時代の官人。推古天皇二二年(六一四)遣隋使として中国に渡り、翌年帰国。舒明天皇二年(六三〇)には遣唐使となり渡航、唐の使者高表仁僧旻らとともに帰朝した。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「犬上御田鍬」の意味・わかりやすい解説

犬上御田鍬
いぬがみのみたすき

生没年不詳。飛鳥(あすか)時代、推古(すいこ)・舒明(じょめい)朝の官僚。冠位は大仁(だいじん)。三田耜とも記す。614年(推古天皇22)6月、矢田部某とともに第五次遣隋使(けんずいし)となる。翌年百済(くだら)使を伴い帰国。630年(舒明天皇2)8月、薬師恵日(くすしえにち)とともに第一次遣唐使となる。632年8月、唐の送使高表仁(こうひょうじん)、新羅(しらぎ)の送使とともに新羅経由で帰国。隋代から留学して唐にいた学問僧霊雲(りょううん)・旻(みん)、勝鳥養(すぐりのとりかい)らもともに帰国した。なお、犬上君氏は近江(おうみ)国(滋賀県)犬上郡豪族と推定されるが、このほか、継体(けいたい)朝の将軍で朝鮮南部へ派遣された近江毛野(おうみのけぬ)、推古朝の遣隋使小野妹子(おののいもこ)、彼に随行した学問僧志賀漢人慧隠(あやひとえおん)など、6、7世紀近江の豪族の出で外交や軍事に活躍した者の多いことが注目される。

鈴木靖民]

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改訂新版 世界大百科事典 「犬上御田鍬」の意味・わかりやすい解説

犬上御田鍬 (いぬがみのみたすき)

推古・舒明朝(7世紀)の官人。生没年不詳。三田耜とも記す。犬上氏は近江国犬上郡の豪族と推定される。614年に矢田部某とともに推古朝の最後の遣隋使となる。翌年百済使を伴い帰国する。630年薬師(くすし)恵日とともに舒明朝の第1次遣唐使となる。632年唐送使高表仁,新羅送使とともに新羅経由で帰国する。このとき,隋代から留学して唐にいた学問僧・学生の霊雲,旻(みん),勝鳥養(すぐりのとりかい)らも帰国した。
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朝日日本歴史人物事典 「犬上御田鍬」の解説

犬上御田鍬

生年:生没年不詳
7世紀の外交官。三田耜とも書く。初代の遣唐使として知られる。近江国(滋賀県)犬上郡を根拠とする犬上氏の一族と考えられる。推古天皇22(614)年,矢田部某と遣隋使として隋に行き,翌年に百済の使者を伴って帰国した。舒明天皇2(630)年8月,隋代に留学経験を持つ薬師恵日と唐に向かう。時に「冠位十二階」の第3である大仁。11月に唐の都長安城に入り,皇帝太宗に謁見したことが『旧唐書』などに記されている。舒明天皇4(632)年8月,唐の使者高表仁,隋代から引き続き留学していた学問僧霊雲,僧旻,勝鳥養らと新羅を経て,新羅の送使を伴い帰国した。<参考文献>茂在寅男他『遣唐使研究と史料』

(平野卓治)

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百科事典マイペディア 「犬上御田鍬」の意味・わかりやすい解説

犬上御田鍬【いぬがみのみたすき】

飛鳥時代の官人。生没年不詳。三田耜とも書く。614年遣隋使として隋に渡航。630年第1回の遣唐使となる。632年,唐の使者高表仁(こうひょうじん),日本の僧霊雲(りょううん),僧(みん)らとともに帰国。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「犬上御田鍬」の意味・わかりやすい解説

犬上御田鍬
いぬがみのみたすき

推古,舒明天皇時代の外交官。三田耜とも書く。景行天皇庶皇子の子孫。小野妹子遣隋使のあとを引き継ぎ,対中国外交にたずさわる。推古 22 (614) 年矢田部造らとともに遣隋小使として中国に渡る。翌年百済使を伴って帰国。舒明2 (630) 年大仁薬師恵日とともに再び派遣され,最初の遣唐使となる。2年後唐太宗の使者高表仁に送られ,学問僧霊雲,僧旻,勝鳥養および新羅送使らとともに帰国した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「犬上御田鍬」の解説

犬上御田鍬 いぬかみの-みたすき

?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏。
推古天皇22年(614)矢田部某とともに最後の遣隋使をつとめ,翌年百済(くだら)使をともなって帰国。舒明(じょめい)天皇2年薬師恵日(くすしの-えにち)とともに初の遣唐使となり,4年答礼使の高表仁(こう-ひょうじん),留学僧の霊雲(りょううん),旻(みん)らと帰国した。名は三田耜ともかく。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「犬上御田鍬」の解説

犬上御田鍬
いぬかみのみたすき

三田耜とも。生没年不詳。7世紀の官人。614年(推古22)矢田部造(やたべのみやつこ)らと入隋し,翌年百済使をともなって帰朝。630年(舒明2)初代遣唐使として薬師恵日(くすしのえにち)らとともに入唐し,翌々年返答使高表仁(こうひょうじん)に送られて帰京した。このとき,留学僧旻(みん)らも帰国。

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旺文社日本史事典 三訂版 「犬上御田鍬」の解説

犬上御田鍬
いぬがみのみたすき

生没年不詳
7世紀前期の官人
614年最後の遣隋使として渡航,翌年帰国。630年舒明 (じよめい) 天皇の命で最初の遣唐使として渡唐。632年,学問僧旻 (みん) らと帰国した。

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