えびの市(読み)エビノシ

デジタル大辞泉 「えびの市」の意味・読み・例文・類語

えびの‐し【えびの市】

えびの

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「えびの市」の解説

えびの市
えびのし

面積:二八三・〇〇平方キロ(境界未定)

県の西端部に位置し、東は小林市、北は熊本県球磨くまにしき町・うえ村、同県人吉市、南・西は鹿児島県姶良あいら吉松よしまつ町・栗野くりの町に接する。市域は東西約二六キロ・南北約二〇キロ、南から北へ向かってしだいに広がり扇型をなしている。南は韓国からくに(一七〇〇・三メートル)こしき(一二七八メートル)白鳥しらとり(一三六三・一メートル)などを含む霧島山系が連なり、北はてつ(七一五・三メートル)矢岳やたけ(七三九メートル)国見くにみ(六八五・二メートル)を擁する九州山系にほぼ囲まれており、真幸まさき盆地または加久藤かくとう盆地と呼称される盆地を形成している。総面積の約六二パーセントに当たる一万七五九六ヘクタールが林野面積である。中央部は平坦地で、霧島山系に源流をもつ長江ながえ川・池島いけじま川などと、九州山系に源流をもつ鉄山てつやま川・ノ川・しら川などが支流となって川内せんだい川に流れ込み、水量を豊かにして盆地の中央を西へ流れる。これらの河川の働きで川内川の両岸に沖積平野が発達、南北の盆地沿いには河岸段丘が形成され、地力も優れた砂質土壌で農作物の栽培に適し、良質の米えびの米の産地となっている。川内川に沿ってほぼ盆地の中央を東西に国道二六八号と二二一号が走り、二二一号は途中加久藤から北折して人吉市に通じている。二六八号からは京町きようまち温泉付近で西の鹿児島県大口市へ向かう国道四四七号が分岐している。また西部を南北に通る九州縦貫自動車道のほか、市域を東西に横断する同道宮崎線も開通、インターチェンジが設けられ交通の要地となった。

〔原始・古代〕

旧石器時代の状況については発見された遺跡も少なく詳細には判明していない。東川北ひがしかわきた妙見みようけん遺跡で出土したナイフ形石器台形石器などが現在のところ発掘調査によって得られた唯一の資料である。縄文時代では集石遺構一三基が検出され、それに伴い多くの土器が出土した早期の妙見遺跡、早期・前期・後期の土器がみられたうら前畑まえはた遺跡、西長江浦の灰塚にしながえうらのはいづか遺跡、中期から後期にかけての集落跡が検出された末永すえなが上田代かみたしろ遺跡・松山まつやま遺跡、後期の貯蔵穴とみられる土坑の検出された西長江浦の内丸うちまる遺跡・役所田やくしよでん遺跡など、高位段丘や丘陵上に多くの遺跡が営まれていたことが近年の発掘調査の結果判明している。弥生時代では後期の原田はらだ本地原もとじばる遺跡、今西いまにし永田原ながたばる遺跡など低位段丘上の遺跡において、いわゆる花弁状(間仕切り)住居が検出されていることが注目に値する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「えびの市」の意味・わかりやすい解説

えびの〔市〕
えびの

宮崎県南西部,川内川の最上流域加久藤盆地とその周辺を占める市。東は小林市,西と南は鹿児島県,北は熊本県にそれぞれ接している。1966年飯野町,加久藤町,真幸町の 3町が合体,1970年市制。平安時代は藤原氏の荘園,鎌倉時代から日下部氏,北原氏が支配。永禄7(1564)年以来明治まで島津氏に属した。中部に加久藤,東部に飯野の中心市街地がある。盆地中央を川内川が流れ,農業地帯を形成。良質の米,園芸作物を産する。南部に霧島錦江湾国立公園に属する霧島山韓国岳,甑岳(こしきだけ),白鳥山に囲まれたえびの高原白鳥温泉,西部に京町温泉吉田温泉があり,観光資源に富む。甑岳針葉樹林およびノカイドウ自生地はともに国の天然記念物。JR吉都線,肥薩線,国道221号線,268号線などが通り,九州自動車道と宮崎自動車道のジャンクションがある。面積 282.93km2(境界未定)。人口 1万7638(2020)。

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