万安英種(読み)ばんなん・えいしゅ

朝日日本歴史人物事典 「万安英種」の解説

万安英種

没年承応3.8.21(1654.10.1)
生年:天正19(1591)
江戸前期の曹洞宗の僧。江戸の人。9歳で武蔵(東京都)起雲寺の源室に従って僧童となり,11歳で得度。諸国行脚ののち,肥後(熊本県)大慈寺大焉広椿に印可された。江戸に戻り起雲寺の源室の後席を継いだが,10年住持ののち,丹波(京都府)瑞巌寺,摂津(大阪府)臨南寺に隠棲。慶安2(1649)年に山城(京都府)淀城主永井尚政の後援を得て宇治興聖寺を再建古風復古を標榜し,門下に祖録などの講義をしたが,その記録が「抄物」として多く残された。晩年宗風をめぐる雑学事件に巻き込まれ,罰された。<著作>『臨済録抄』<参考文献>曹洞宗宗務庁編『曹洞宗近世僧伝集成』

(志部憲一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「万安英種」の解説

万安英種 ばんなん-えいしゅ

1591-1654 江戸時代前期の僧。
天正(てんしょう)19年生まれ。曹洞(そうとう)宗。肥後(熊本県)大慈寺の大焉広椿(だいえん-こうちん)の法をつぐ。慶安元年(1648)山城(京都府)淀(よど)藩主永井尚政(なおまさ)の後援で興聖寺を再建した。承応(じょうおう)3年8月21日死去。64歳。江戸出身。俗姓遠山。著作に「禅林類聚(るいじゅ)撮要抄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の万安英種の言及

【興聖寺】より

…道元が京都の南郊に建てた興聖宝林寺は中世の戦乱のなかで廃絶したが,その再興をめざして,1648年(慶安1)淀の城主の永井尚政が現地に造営した寺である。中興の開山は万安英種(ばんあんえいしゆ)。道元の遺徳をしたう英種の峻厳枯淡な禅が,そののち当寺の伝統的な禅風となった。…

【鈴木正三】より

…1616年(元和2)大愚が江戸に南泉寺を開いて住するとこれに参じ,19年武士を捨てて出家した。以後,仏教復興を念願して,大和法隆寺で沙弥戒をうけた真言律僧の賢俊良永,豊後多福寺の妙心寺派僧雪窓宗崔,曹洞宗でのち宇治に興聖寺を再興した万安英種,日蓮宗から天台宗に転じ日蓮宗批判を行った舜統院真超ら同じ志をもつ各宗僧侶と交流し,仏教復興運動の中心となった。正三自身は,三河に帰り千鳥山で修行の後,石平山に庵を構え,32年(寛永9)ここに家康,秀忠の位牌を安置して恩真寺と号し,また各地を巡錫して民衆教化につとめた。…

※「万安英種」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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