企業内教育企業内訓練(読み)きぎょうないきょういくくんれん

改訂新版 世界大百科事典 「企業内教育企業内訓練」の意味・わかりやすい解説

企業内教育・企業内訓練 (きぎょうないきょういくくんれん)

近代日本の企業内教育・訓練の歴史をみると,明治期には徒弟制度があり,明治の半ばには一部企業に見習工制度も設けられた。大正・昭和初期から戦中には,養成工制度が発展した技能工の企業内養成制度が,先進企業で本格的に設けられた。これには,伝統的な徒弟制度,企業内工業学校と呼ぶべきもの,職工長クラスを養成する企業内技手学校と呼ばれるものなどがあった。第2次大戦中は,これらが青年学校などと名称を変えている。戦後は名実ともに企業内教育・訓練が整備・体系化されてくるが,以下,この時期について述べる。

 戦後の発展は,大きく4期に分けることができる。第1期は,終戦直後のアメリカ式経営管理訓練の導入期である。1948年,占領軍の指導のもとに,経営幹部層に対するCCS講座(占領軍司令部内のcivil communication sectionが導入した)から始まり,中間管理者層に対するMTP(management training program。アメリカ極東空軍内で開始),現場第一線監督者に対するTWI(training within industry。労働省の仲介)が,やつぎばやに導入された。そして,これらは55年ころまでに大企業に一巡した。

 第2期は,それから60年ころまでで,上のような〈定型訓練〉(訓練内容と進め方の標準方式があってトレーナーが指導する)が形式的,原理原則だおれで実践的でないと批判され,より実践場面の能力を習得しうる訓練技法として,事例法(ケース・メソッドcase method)が導入された。ハーバード方式の膨大なデータによるものと,日常起こる小さな事件を扱うケース・スタディcase studyやインシデント・プロセスincident process方式などがある。

 第3期は,60年ころから始まった各企業独自の教育・訓練体系づくりの時期である。この時期になって,1950年代後半の大量の設備投資が過剰気味となりはじめ,新卒者の需給売手市場から買手市場に転じた。大企業を中心にして,従業員教育の統合化を進め,計画的・組織的に各職能・各職層の要員育成しようとしはじめたのである。この時期には,教育技法の面でも,人間関係の改善にロール・プレイングrole playingやSTsensitivity training感受性訓練)あるいはビジネス・ゲームbusiness gameなどがとり入れられた。また,多くの企業で教育推進体制が整備され,教育・訓練部門の充実とライン管理者による職場内教育推進体制づくりが進められた。その延長線上に,60年代後半ころから,部下育成のマネジメント方式として〈目標による管理〉を導入する企業が出はじめた。さらに,目標による管理を効果的に進めるために不可欠な管理者の能力として,問題解決・意思決定訓練が盛んに行われるようになった。同時に,個々人の能力開発だけでは経営成果に結びつけることが難しいとして,組織を対象とする組織開発organization development訓練も始まった。また,自主技術開発や生産合理化の必要性が,64年以降急ピッチで進んだ貿易・為替の自由化とともに強く認識されるようになり,創造性開発訓練やIE(industrial engineering),VE(value engineering),PM(project management),SE(system engineering)などの管理技術の導入と普及が進められた。

 第4期は,70年代半ばに始まる低成長時代,国際化時代に対応する時期である。この時期には,これまでに導入し,定着化を進めてきた教育・訓練を,新しい時代の要請に適合させるべく,見直し,追加による再構成が行われている。新しい教育ニーズとして出てきたものに,国際的企業人の育成,経営戦略推進のための管理者層の強化があり,さらに,中高年層の増加への対応があり,80年前後からはOA(office automation)やFMS(flexible manufacturing system)ないしFA(factory automation)への対応が求められるようになった。これらは,管理者に対する教育訓練の内容に反映され,一般従業員の組織的育成をはかるためのCDP(career development program)の設計を促している。一方では,日本経済の強さが世界的に脚光を浴びるようになったことから,その秘密の一つとしてQCサークルなどの小集団活動が注目を受けるようになった。サークル活動を活発化するためのリーダー訓練や管理監督者訓練が盛んになったのも,この時期である。

 なお,戦後は,幹部育成のために海外のビジネス・スクールへの留学制度を設けている企業も多い。国際化の進展のなかで,日本独自の経営管理のノウ・ハウをつくりあげていくために,ビジネス・スクールは今後,体質を変えながら充実化の道をたどるだろう。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報