国際劇場(読み)こくさいげきじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国際劇場」の意味・わかりやすい解説

国際劇場
こくさいげきじょう

劇場名。1937年(昭和12)7月、松竹の系列会社である浅草土地興行会社が東京の浅草柴崎(しばざき)町(当時)に建設した劇場。4階建て鉄筋コンクリート造、客席数3600の当時東洋一規模をもった大劇場。松竹少女歌劇本拠として活用され、歌舞伎(かぶき)、新国劇、映画スターの実演の場としても利用された。45年(昭和20)戦災で内部を焼失、47年再開場。戦後松竹歌劇団のレビューを売り物に東京観光ルートの一つとなり、外人客、修学旅行生などでにぎわった。また歌手公演の場としても活用されたが、レビュー人気の低迷で経営難に陥り、82年4月5日廃館。

水落 潔]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国際劇場」の意味・わかりやすい解説

国際劇場
こくさいげきじょう

東京浅草に,1937年松竹が建設した大劇場。定員 4059人で,当時東洋一の規模を誇った。松竹少女歌劇団 (現松竹歌劇団) のレビューでこけら落し公演を行い,新国劇や映画との併演など大衆的な興行を主としたが,45年戦災で焼失。 47年に再建,レビューや人気歌手のショーの公演で東京名所の一つとなった。しかし,浅草の娯楽街としての地位低下,レビューの不振などが重なり,82年に閉館,取りこわされた。

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世界大百科事典(旧版)内の国際劇場の言及

【劇場】より


[劇場の多様化]
 震災後に,復興または新しく建設されたおもな劇場は,24年に本郷座・演伎座・松竹座・市村座・帝国劇場・邦楽座に前記の築地小劇場,25年の歌舞伎座とつづく。25年に新たに新橋演舞場,30年に大阪四ッ橋の文楽座や東京劇場,32年に大阪歌舞伎座,33年に有楽町の日本劇場,34年に東京宝塚劇場,35年に有楽座,37年に浅草の国際劇場などが次々に竣工した。大正から昭和へかけて,歌舞伎・新派・新国劇・歌劇・バレエ・新劇・文楽や舞踊などが,上記の劇場はもとより巡業先の各地の劇場やホールで,撩乱たる多様化と繁栄の時代を迎えたのである。…

【少女歌劇】より

…32年には松竹少女歌劇部(SSK)と改称,翌年の争議解決後には,松竹少女歌劇団(SSKD)として,同時に松竹少女歌劇学校を新設した。37年に3600人収容の浅草国際劇場が新築開場,ここが本拠地となった。当時は,ショートカットにシルクハット,タキシードのスタイルで〈男装の麗人〉として人気をさらい〈ターキー〉の愛称で親しまれていた水の江滝子(1915‐ )の人気絶頂期であり,またオリエ津阪らも幹部であった。…

※「国際劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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