坂門牧(読み)さかとのまき

日本歴史地名大系 「坂門牧」の解説

坂門牧
さかとのまき

はじめ摂関家領。のち近衛家から花山院家に伝えられた。坂戸とも書き、室町時代には庄園化して坂門牧庄ともいった。所在地は坂門原さかとはら(清寧天皇陵)の所在地に比定される古市郡尺度さかと(現羽曳野市)一帯とする説(荘園志料・大阪府史)、柏原市内の雁多尾畑かりんどうばた一帯とする説(柏原市史)があるが、後者が妥当であろう。柏原市内に比定する論拠は、雁多尾畑にある光徳こうとく寺蔵の親鸞絵像(大永二年下付)裏書に「大方郡坂戸牧山田郷雁多尾畑光徳寺」とあること、雁多尾畑に小字坂戸があること、雁多尾畑の西に接する平野ひらのの東部一帯を坂戸と通称することなどであるが(柏原市史)、後述のように現柏原市域に関係の深い坂戸源氏源康季について、「尊卑分脈」が「本住所河内国坂戸牧也 即為本領也」と記すのも有力な傍証となろう。なお史料には国名・郡名を伴わないで登場する場合が多く、また大和国に興福寺大乗院領坂門庄(三箇院家抄)、西大寺領十市とおち郡坂戸庄(建久二年「西大寺領諸庄園現存日記事」西大寺文書)があることから混同されやすい。さらに大和にも摂関家領坂門(戸)牧があったとする説もあるが、坂門(戸)牧で大和と明示されて出る史料は現在のところない。坂門(戸)牧が河内国にあったことは確かなので、以下国名・郡名を伴わないものも河内として扱う。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「坂門牧」の意味・わかりやすい解説

坂門牧 (さかどのまき)

河内国古市郡(現,大阪府羽曳野市)の。坂戸牧とも書く。文徳源氏で白河院の北面武士であった検非違使源康季の本拠で,この一族は坂戸源氏と称された。同氏が牧を領有しはじめたのは,遅くとも11世紀の末,康季の曾祖父河内守公則のころと考えられる。本家(上級領主)は摂関家。1153年(仁平3)左大臣藤原頼長の春日社参詣にあたり,蒭(まぐさ)100把の負担を割りあてられた。1253年(建長5)の近衛家所領目録によれば,近衛家自身が所領支配の実際的な諸権限(荘務権)を握っており,このときの預所は範忠なる人物であった。下って1378年(天授4・永和4)近衛道嗣は同牧のおそらく預所職を三宝院僧正光済に宛て行っている。その後まもなく坂門牧荘と荘号を称した。
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