法善寺(読み)ホウゼンジ

デジタル大辞泉 「法善寺」の意味・読み・例文・類語

ほうぜん‐じ〔ホフゼン‐〕【法善寺】

大阪市中央区にある浄土宗の寺。通称千日寺。その北側露地を法善寺横丁といい、歓楽街

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精選版 日本国語大辞典 「法善寺」の意味・読み・例文・類語

ほうぜん‐じホフゼン‥【法善寺】

  1. 大阪市中央区難波一丁目にある浄土宗の寺。山号は天龍山。寛永一四年(一六三七建立本尊阿彌陀如来道頓堀から千日前に折れてすぐ西側の飲食店街、法善寺横丁の中央部にある。千日寺。

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日本歴史地名大系 「法善寺」の解説

法善寺
ほうぜんじ

[現在地名]若草町加賀美

東に釜無川、西に滝沢たきざわ川の両川に挟まれて位置する。加賀美遠光の館跡が寺とされたもので、加賀美山と号し、高野山真言宗。本尊は阿弥陀如来。「寺記」によると大同元年(八〇六)沙弥神徳が逸見へみ(現白州町)の地に永禅えいぜん寺を草創、当初は大坊とよばれていた。神徳は弘仁三年(八一二)一二月一四日、京都高尾たかお(神護寺)において空海より胎蔵界の灌頂を受けた一四五人中の一人で、「灌頂暦名」に「神徳甲比人」とみえる。その後山寺やまでら(現櫛形町)あるいは寺部てらべ村に移転したと伝える(寺記)。弘仁一三年に空海開創との伝承もある(甲斐国志)。建久年間(一一九〇―九九)に加賀美遠光が再興、加賀美山法善護国ほうぜんごこく無量寿むりようじゆ院あるいは加賀美かがみ(鏡寺)と称し、武田たけだ八幡宮(現韮崎市)別当を勤めたという(同書)。その後再び荒廃していたのを遠光の孫遠経が承元二年(一二〇八)遠光の館跡である現在地に移して寺観を改め、承久三年(一二二一)紀州高野山から覚応を中興開山として招いたという(同書)


法善寺
ほうぜんじ

[現在地名]南区難波一丁目

浄土宗、天竜山と号し、本尊は阿弥陀如来。法善寺一件留(成舞家文書)によると、慶長年中(一五九六―一六一五)山城伏見ふしみで琴誉が開基、元和四年(一六一八)大坂安国寺あんこくじ(現東区)に移転したが、寛永三年(一六二六)大坂城代阿部正次の屋敷拡張のため、寺屋敷が収公された。このとき住職法誉は重病で替地をもらわないまま没し、同一四年法誉の弟子専念が難波なんば村に当寺を移した。しかし千日墓所一件(同文書)には「法善寺ハ元来八丁目筋西光院南隣ニ有之候、今ニおゐて明き地ニて西光院預地と成、(中略)右法善寺今之地江引ケ申候ハ寛永拾四年」とあり、法善寺一件留の寺歴には矛盾が多いので、千日墓所一件のほうが信頼できる。


法善寺
ほうぜんじ

[現在地名]麻績村上町

麻績城おみじよう山の西麓にある曹洞宗寺院。山号を仏眼山といい、遠州(静岡県)禅住寺末。本尊は阿弥陀如来。

享保九年(一七二四)の「信府統記」の「松本領諸寺院記」に「往古ハ岩竜山宝前寺ト号ス、中絶ノ後賢甫和尚永正九年建立スル故ニ、中興開山トス、享保九年迄弐百拾四年ニナル、草創ハ甲陽信玄麻績古城主服部左衛門ト云ヒ伝フ」とある。

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事典・日本の観光資源 「法善寺」の解説

法善寺

(長野県東筑摩郡麻績村)
信州の古寺百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の法善寺の言及

【新地】より

…大坂では新開地である新地の繁栄を図るため,茶屋,煮売屋,風呂屋,芝居小屋など遊興施設の営業を許可したため,都市の発展にともない難波新地,曾根崎新地などは大坂の中でも有数の繁華街となった。難波新地の法善寺は千日回向を行う千日寺として知られ,その門前である千日前の繁栄は近代に至るまで受けつがれている。曾根崎新地は揚屋,遊女屋の営業が中心となり,江戸中期以降大繁盛する。…

※「法善寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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