服部仲英(読み)はっとり・ちゅうえい

朝日日本歴史人物事典 「服部仲英」の解説

服部仲英

没年:明和4.6.8(1767.7.3)
生年正徳3(1713)
江戸時代中期の漢詩人。摂津(兵庫県)西宮の人。名は元雄,仲英は字。通称多門。白賁と号す。本姓中西氏。西宮神社の祝人(下級神宮)中西平次右衛門の次男。正徳4(1714)年,父親が神社の内紛に巻き込まれ追放を受け,一家は摂津池田に移り住んだ。このころ田中桐江に入門し,のちに江戸に出て服部南郭に師事した。南郭の2人の息子が相次いで亡くなったため,宝暦3(1753)年,末娘の登免子と結婚して服部家を継いだ。詩をよくし,家名を落とすことがなかったという。<著作>『蹈海集』<参考文献>日野竜夫「文人成立」(『徂徠学派』)

(高橋昌彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「服部仲英」の解説

服部仲英 はっとり-ちゅうえい

1714-1767 江戸時代中期の儒者
正徳(しょうとく)4年生まれ。摂津西宮神社(兵庫県)の神職の子。江戸で服部南郭にまなび,その末娘と結婚し婿養子となる。詩をよくした。明和4年6月8日死去。54歳。本姓は中西。名は元雄。通称は多門。号は白賁(はくひ),蹈海(とうかい)。詩集に「蹈海集」「蹈海集遺」など。

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