源仲綱(読み)みなもとのなかつな

朝日日本歴史人物事典 「源仲綱」の解説

源仲綱

没年治承4.5.26(1180.6.20)
生年大治1(1126)
平安末期の武将,歌人。頼政の嫡男。母は源斉頼の娘。正五位下。隠岐守,伊豆守。治承4(1180)年5月,父頼政と共に以仁王を擁して平家討滅の兵を挙げた。そのとき,諸国の源氏に起兵を呼びかけた以仁王令旨の奉者を務めた。『平家物語』は,頼政一族の挙兵の動機のひとつを,平宗盛が仲綱の名馬を強奪したためとし,その話を詳述する。しかし,この挙兵は失敗し,仲綱は宇治平等院で奮戦のすえ自害。歌人としては,貴族歌壇の常連で,右大臣九条兼実家の歌会・歌合などにも出席した。藤原俊成らにも評価され,『千載和歌集』に6首採られている。<参考文献>井上宗雄『平安後期歌人伝の研究

(田中文英)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源仲綱」の解説

源仲綱 みなもとの-なかつな

1126-1180 平安時代後期の武将。
大治(だいじ)元年生まれ。源頼政長男。平氏打倒のため,治承(じしょう)4年以仁(もちひと)王を奉じて父とともに挙兵。敗れて同年5月26日宇治平等院で自害した。55歳。平宗盛(むねもり)に愛馬をうばわれたことが,挙兵の理由のひとつともいわれる。歌人としても活躍,歌は「千載和歌集」などにはいる。

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