竜興寺(読み)りようこうじ

日本歴史地名大系 「竜興寺」の解説

竜興寺
りようこうじ

[現在地名]八木町字八木 西山

八木集落の西南しろ山の麓にある。八木山(江戸時代は米山)と号し、臨済宗妙心寺派、本尊釈迦如来。

創建は「本朝高僧伝」、「大雲山誌稿」(龍安寺蔵)などに宝徳二年(一四五〇)六月とあるが、寺伝は細川勝元が享徳元年(一四五二)建立龍安りようあん(現京都市右京区)二世義天玄詔を開山とするという。また一説に八木城主内藤氏が菩提寺として建立したともいわれる(船井郡誌)。八木城落城前には栖碧・岷王・雲所・堆雲・東雲・朽林・編蒲・智息・利生の九院があった(船井郡誌、寺蔵絵図)

竜興寺
りゆうこうじ

[現在地名]昭和区御器所三丁目

瑞雲山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。「尾張志」「尾張名所図会」は、当寺過去帳に「竜興寺殿半入玄心居士城主佐久間大学天文八己亥十一月廿八日」とあるのを引用してその創建と記し、「府志」は、稲葉いなば(現岐阜県)城主斎藤竜興の創建というが、「寛文覚書」は大草おおくさ(現小牧市)福厳ふくごん寺の末寺として竜光寺とも表記しているので、佐久間氏ゆかりの人物の創建であろう。寺伝によれば卍室長吉の開山と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竜興寺」の意味・わかりやすい解説

竜興寺
りゅうこうじ

中国、唐代に各地に建立された官立寺院。705年(神竜1)中宗が即位して唐の名を復したことにちなみ、諸州に中興寺観を置き707年竜興寺と改めたことに始まる。そのもっとも古いのは隋(ずい)の586年(開皇6)恒州刺史王孝(おうこうれい)により、竜蔵寺として創建されたもので、971年(開宝4)河北省正定(せいてい)に移建され、その後数度にわたる重修を経て現存している。日本天台宗にはゆかりのある寺で、たとえば伝教大師最澄(さいちょう)は、台州の竜興寺において道邃(どうすい)にまみえ、天台止観(しかん)法門および梵網(ぼんもう)の大戒を受け、翌年越州の竜興寺で順暁(じゅんぎょう)より真言(しんごん)密教の灌頂(かんじょう)を受けたといわれる。また円仁(えんにん)は揚州と青州の、円珍は長安の竜興寺に足跡を残している。

[平井俊榮]

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