篠原孫左衛門(読み)しのはら・まござえもん

朝日日本歴史人物事典 「篠原孫左衛門」の解説

篠原孫左衛門

没年:寛永2.3.23(1625.4.29)
生年弘治2(1556)
江戸初期の阿波撫養塩田(鳴門市)開発者。淡路国三原郡高屋村(兵庫県西淡町)の出身。諱は家久,また道金。はじめ孫六と称した。天正13(1585)年,蜂須賀家政が播州竜野(竜野市)から阿波(徳島県)に入国,播磨,淡路から製塩技術者を招いて慶長1(1596)年の大地震によって隆起した撫養沿岸の干潟地の踏査,開発に当たらせた。孫左衛門もそのひとりで,慶長2年竹島(高島)の干潟を調査し,翌年塩浜の築造に着手した。慶長12年塩田の検地が行われて,高島塩浜8町6反24歩(約8.5ha),年貢として銀784匁1分9厘が定められ,孫左衛門は竹島村庄屋に任命された。以後篠原家は代々庄屋を世襲して製塩業に従事した。<参考文献>『鳴門市史』上,岩村武勇『高島塩田の開拓と篠原家』

(渡辺則文)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「篠原孫左衛門」の解説

篠原孫左衛門 しのはら-まござえもん

1556-1625 織豊-江戸時代前期の塩業家。
弘治(こうじ)2年生まれ。淡路(あわじ)(兵庫県)高屋村で塩業をいとなむ。阿波(あわ)(徳島県)領主蜂須賀(はちすか)家政の命により,慶長3年から竹島村(鳴門市高島)で塩田を開発,10年かけて約9haをひらく。以後,篠原家は同村の庄屋を世襲し,代々製塩業に従事した。寛永2年3月23日死去。70歳。名は家久。号は道金。

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