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スチュアート朝 スチュアートちょう Stuart(Stewart; Steuart) Dynasty

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スチュアート朝
スチュアートちょう
Stuart(Stewart; Steuart) Dynasty

スコットランドとイングランドの王朝 (1371~1714) 。家系は 11世紀のブルターニュに発し,12世紀にブリテン島に渡り,スコットランドデービッド1世に仕えてその司宰 stewardになった。

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百科事典マイペディアの解説

スチュアート朝【スチュアートちょう】

イングランドの王朝。14世紀末からスコットランドの王朝であったが,エリザベス1世の死後,血縁関係により1603年ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に即位し,この王朝の開祖となる。
→関連項目イギリスチューダー朝

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世界大百科事典 第2版の解説

スチュアートちょう【スチュアート朝 Stuarts】

中世末期から18世紀初頭にかけてのスコットランドとイングランドの王朝。その家系はブルターニュのフランス系貴族に由来し,12世紀からスコットランドに定住した。スコットランド王家に宮宰として仕え,国王ロバートブルースのイングランドに対する抗戦を支持し,1371年には一門のロバート2世が王位について,スチュアート朝を始めた。スチュアートの名称は宮宰stewardに由来する。スコットランドでは,イングランド,フランスなどの外国勢力と結んだ貴族間の抗争が激烈を極めたため,王権の基盤は弱く,スチュアート朝の諸王には殺害されたり戦場で倒れたものが続出し,多くは未成年で即位した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スチュアート朝
すちゅあーとちょう

イギリスの王朝。ピューリタン革命および名誉革命を経験した。元来は1371年以来のスコットランドの王朝。家系は11世紀のブルターニュ地方の貴族までさかのぼり、その一部が12世紀にスコットランドに移住してスコットランド王のスチュワードsteward(宮宰)となった。スチュアートStuartという家名はこれに由来している。その後第6代目の宮宰ウォルターWalterが、スコットランド王ロバート1世(在位1306~29)の娘と結婚したため、その子ロバートが1371年に王位を継承し(~1390)、ここにスコットランドにおけるスチュアート朝が始まった。1542年ジェームズ5世(在位1513~42)の死によって、その娘メアリーが女王として王位を継いだ(~67)が、彼女はイングランドの反乱に加担して、1587年チューダー朝のイングランド女王エリザベス1世によって処刑された。メアリーの子ジェームズはスコットランド王位を継承した(ジェームズ6世。在位1567~1625)のち、1603年、エリザベス1世の後を襲ってイングランド王位も継承(ジェームズ1世。在位1603~25)、両国の王位を兼ねるに至る。これはジェームズがチューダー家の血統を引いていたためであり、ここにイングランド(イギリス)におけるスチュアート朝が始まった。
 ジェームズ1世の子チャールズ1世(在位1625~49)は、順当に王位を継承したものの、ピューリタン革命のさなかに処刑され、大陸に逃れたその子チャールズ2世が1660年王位に復した(~1685)。しかしチャールズ2世没後、カトリックであった王弟ジェームズ2世(在位1685~88)が即位したため、カトリック化を恐れる人々が彼を王位から追い(名誉革命。1688)、王冠はスチュアート家の血を引くオレンジ公ウィリアムとその妻メアリーの手に渡った。そして1714年、メアリーの妹アン(在位1702~14)の死去により、スチュアート朝は断絶し、ハノーバー朝が開始された。(書籍版 1987年)[小泉 徹]

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世界大百科事典内のスチュアート朝の言及

【イギリス】より

…ヘンリーの死後二転三転した宗教事情は,エリザベス1世登位(1558)後〈教義的にはプロテスタント,礼拝様式ではカトリック〉といわれた英国国教会として定着した。スチュアート朝の登場(1603)とともにイギリスの宗教界にとって激動の17世紀が始まる。抑圧されてきたピューリタンは王政と主教制を打倒し,長老主義的教会と共和政を確立したが,ピューリタン各派間の抗争によって1660年には王政と主教制が再確立する。…

【エリザベス[1世]】より

…王位は処刑されたメアリーの遺児スコットランド国王ジェームズ6世に移る。イングランド国王としてはジェームズ1世,すなわちスチュアート朝がここに始まる。 治世はしばしば黄金時代,偉大な治世といわれる。…

【スコットランド】より

R.ブルースは1328年スコットランドの独立を獲得した。その後ダンカンの血統が絶え,1371年ロバート2世が即位してスチュアート朝を開始。フランスとの提携が強まり,ジェームズ5世(在位1513‐42)は2人の王妃をフランスから迎え,その娘の女王メアリー(メアリー・スチュアート)はフランス王妃ともなった。…

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