荊軻(読み)ケイカ

デジタル大辞泉 「荊軻」の意味・読み・例文・類語

けい‐か【荊軻】

[?~前227]中国戦国時代刺客の人。えん太子丹の依頼で、秦王政始皇帝)を刺そうとして失敗、殺された。太子との別れに、易水えきすいのほとりで作った易水送別の歌「風蕭々として易水寒し、壮士一たび去って復た還らず」(「史記」刺客伝)の詩が有名荊卿。→易水

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精選版 日本国語大辞典 「荊軻」の意味・読み・例文・類語

けい‐か【荊軻】

中国、戦国時代の刺客(しかく)。衛(河南省)の人。燕(えん)の太子丹の依頼で、秦都咸陽におもむき、秦王政(始皇帝)の刺殺をはかったが、失敗し、殺された。前二二七年没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荊軻」の意味・わかりやすい解説

荊軻
けいか
(?―前227)

中国、戦国時代の刺客。衛(えい)の人。剣術を好んで燕(えん)に赴く。当時秦(しん)に人質となっていた燕の太子丹(たん)は、秦王政(せい)(始皇帝)の待遇が悪かったので逃げ帰ってきていた。丹は、小国の燕が大国の秦に勝つには秦王を脅迫して土地を諸侯に返還させるか、あるいは暗殺するしかないと考え、荊軻に暗殺を依頼する。荊軻は秦から逃亡してきた樊於期(はんおき)将軍の首と、燕の督亢(とっこう)の地図を携えて出発する。易水のほとりで、太子らとの別れに際して「風蕭々(しょうしょう)として易水寒し、壮士一たび去ってまた帰らず」と歌った。秦王は地図を献上されたものと喜んで広げたが、その瞬間、荊軻は地図の内に隠していた匕首(あいくち)を取り出して秦王を突いた。秦王は驚いて身を引き、剣を抜こうとしたが抜ききれず、逃げ回る。武器の携帯を許されていない臣下たちも、とっさのことで手をこまぬいていたが、やがて秦王自ら剣を抜き荊軻に切りつけ、続いて従臣たちが彼を殺してしまう。『史記』刺客列伝に記されたこの事件は、古来、名場面として知られている。その後、燕は秦に攻撃され、紀元前222年に滅ぼされた。

[鶴間和幸]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荊軻」の意味・わかりやすい解説

荊軻
けいか
Jing Ke; Ching K`o

[生]?
[没]燕,王喜28(前227)
中国,戦国時代末期のの刺客。の人で諸国遊歴の末に燕の太子丹に仕える。沈着冷静で文武にすぐれていた。太子丹に秦王政 (→始皇帝 ) の殺害を頼まれた荊軻は,「風蕭々として易水寒し,壮士一たび去って復 (ま) た還 (かえ) らず」と歌い,秦におもむいた。秦王に謁し,殺そうとして果せず逆に殺された。

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