アイデンティティ理論(読み)アイデンティティりろん(英語表記)theory of identity

最新 心理学事典 「アイデンティティ理論」の解説

アイデンティティりろん
アイデンティティ理論
theory of identity

アイデンティティは精神分析学者であるエリクソンErikson,E.H.(1950,1959)が青年期の中心的な心理社会的発達の課題として提唱した概念である。

【エリクソン理論の基本概念】 エリクソンは乳児期から老年期までの生涯発達をライフサイクルlifecycleとよび,八つの段階に分類している。エリクソンはフロイトFreud,S.の心理性的な精神分析的発達論に対して,心理社会的発達の側面を追加し,生物学的,心理的,社会的という三つの体制化過程が発達の基底にあると考え,また,人は適切な条件が整った場合,漸成的な法則に沿った発達を遂げていくと仮定し,各発達段階ごとに固有の発達課題を示す漸成図式epigenetic chartとよぶ発達段階モデルを提唱している。各段階における発達課題には前向きな発達だけではなく退行的,病理的方向も想定した心理社会的な危機があると考えられている。ここでの危機とは分かれ目,岐路という意味を含んでいる。たとえば,青年期の課題は「アイデンティティ対アイデンティティ拡散(または混乱)」となっており,肯定的な面と否定的な面の両方が強調されており,その危機を乗り越えていくことが課題とみなされている。

【アイデンティティの感覚】 アイデンティティidentityとは「わたしはわたしである」とか「わたしはわたしらしく生きている」といった確信に近い感覚である。「わたし」という自己の属性には名前,身体的特徴,性格,価値観,社会的役割,身分など多様な側面が含まれるが,アイデンティティの感覚とは単なる自己概念や自己定義ではない。エリクソンはアイデンティティの感覚とは「内的な斉一性samenessと連続性continuityを維持しようとする個人の能力と,他者に対する自己の意味の斉一性,連続性とが一致したときに生じる自信」と定義している。斉一性とは自己をまとまりのある不変な同一の存在として認識していることである。また,連続性とは過去から未来にかけての時間的な流れのなかでの自己の安定性を意味している。さらにわたしがわたしであるという自信,すなわちアイデンティティの感覚は他者の存在によって支えられているものであることが強調されている。そして,この自信が青年に生きがい感や充実感をもたらすと考えられている。逆にアイデンティティが拡散したり混乱している状態の特徴としては,⑴選択の回避:外的な孤立と内的な空虚感,⑵親密さの問題,⑶時間的展望の拡散,⑷勤勉さの拡散,⑸否定的アイデンティティの選択,などが挙げられている。

 また,エリクソンは青年期から成人期に至るまでの期間をアイデンティティ確立のための心理社会的猶予期間psycho-social moratorium(モラトリアム)とよび,そこでは社会の中で自分の適所を発見するための自由な役割実験role experimentationを行なうことが重要であると述べている。役割実験とは具体的にはアルバイトやボランティア活動,あるいはさまざまな対人関係を経験する中で多様な役割を引き受け,演じる中で自己や他者,社会への理解を深め,自分らしさや自分のあるべき姿を確認する活動である。

【アイデンティティ研究の発展】 アイデンティティ概念を実証的に研究するうえで最も貢献したのはマーシャMarcia,J.(1966)である。マーシャは個人のアイデンティティ形成のあり方を判定するアイデンティティ・ステイタスidentity statusの概念を提唱し,半構造化面接法と文章完成法テストを用いてその測定を行なった。アイデンティティ・ステイタスの判定においては,アイデンティティの危機または探求の経験と,現在の傾倒(積極的関与)commitmentの二つの側面が重視された。危機とは児童期までの過去の同一視を否定したり再吟味する経験を指している。また,傾倒とは危機後の意味ある選択肢の探求の末に自己決定したことに対してどれだけ強く関与し,自分の資源を投入しているか,そのあり方を示している。マーシャはこの二つの基準から政治的イデオロギー,宗教,職業などの各々の領域に対するアイデンティティのあり方を四つのステイタスに分類した。四つのステイタスとは,危機または探求を経験し傾倒もしている「達成achievement」,危機または探求の真っ最中で傾倒はあっても曖昧な「モラトリアム」,危機または探求の経験はないが傾倒はある「フォークロージャーforeclosure」,危機または探求の経験の有無については両方のタイプがあるが傾倒がない「拡散diffusion」である。四つのステイタスは,固定的なものではなく,発達過程の中でシフトしていくと考えられている。たとえば,モラトリアムから達成への移行や逆に達成から拡散やモラトリアムへの移行(退行),フォークロージャーが拡散,モラトリアムを経て達成に移行する,などのアイデンティティ形成のプロセスにはさまざまな段階があると考えられる。しかし,いずれにしても発達上最も望ましい適応的な状態は達成であるとみなされている。

 マーシャのアイデンティティ・ステイタス研究は,多くの研究者に対して刺激を与え,その後のアイデンティティ研究を発展させるきっかけになった。たとえば,対象とする領域の拡大(性役割,友人関係,恋愛関係などを追加),性差の検討,アイデンティティ形成のプロセスの精緻化,コーピングcoping(対処)との関連,認知的な情報処理スタイルの個人差の検討,社会的文脈や関係性を重視するモデルなどに関する研究が生まれてきている。また,アイデンティティ概念は青年期だけではなく成人期以降の心理社会的発達を理解するうえでも重要な概念として取り上げられている。

【青年のアイデンティティ】 アイデンティティは現代青年の特徴を説明するうえでの有効な概念であるとみなされてきた。たとえば,1960年代後半の学生紛争以降に青年の間で「しらけ」ということばが流行し,「三無主義:無気力・無感動・無関心」が青年の特徴として挙げられていたが,西平直喜(1979)はしらけ気分をアイデンティティが統合された感覚である生きがい感の対極にあるアイデンティティ拡散の感覚として位置づけた。また,アメリカのウォルターズWolters,P.A.J.(1961)が慢性的な無気力状態を呈する大学生群を指す用語としてスチューデントアパシーstudent apathyということばを提唱し,笠原嘉が1970年代以降に日本に広め理論的検討を深めている(笠原,1984)。日本では1960年代後半から大学生の留年現象が問題視されるようになり1970年代以降はこれをスチューデントアパシーとよぶようになったが,この臨床像としては,アイデンティティの葛藤と進路の喪失,本業領域からの選択的退却などが指摘された。しかし,1990年代以降の青年の特徴を理解するにはエリクソンのアイデンティティ理論は十分ではないという指摘もある(溝上慎一,2004)。また,今日社会的問題となっている青年のニートや引きこもりは,状態像としても多様であり,精神障害圏の問題や青年期以前の早期の発達段階の課題が背景にある可能性がある。 →自己 →青年期
〔平石 賢二〕

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