改訂新版 世界大百科事典 「アザンデ族」の意味・わかりやすい解説
アザンデ族 (アザンデぞく)
Azande
アフリカのスーダン共和国南西部から,中央アフリカ共和国東部およびコンゴ民主共和国北東部にかけて居住する,スーダン系農耕民。ザンデZande族とも呼ばれる。人口は75万以上と推定されるが,種族的には複雑で,スーダン系諸族とナイロートやバントゥー系諸族とが混血したとされる。歴史的には独立的な性格の小王国に分立していたが,17世紀末にアボンガラという有力なクランが他を征服して,アザンデ族を統合した。
アザンデ族の居住地は,ナイル川およびコンゴ川の上流の小河川が交錯する,ゆるやかな丘陵地帯で,生業として焼畑農業とともに漁労や狩猟を営む。ツェツェバエのため牛は飼育しない。居住地の北部はスーダン型気候に属する乾燥したサバンナであり,南部はギニア型気候に属し湿潤な森林がひろがる。農業はシコクビエが最も重要な作物で,北部ではソルガムやトウジンビエ,南部ではトウモロコシがこれに次ぐ。ササゲなどの豆類やゴマのほか,19世紀後半に導入された落花生も油脂作物として重要である。さらにキャッサバやサツマイモなども栽培し,これらの作物を組み合わせた複雑な輪作体系を持っている。
アザンデ族は何か不幸がおこると,誰かが妖術をかけたと考え,摩擦板の託宣や毒物の託宣などに指示を仰ぐ。後者の場合,病気や死などの不幸には誰かの悪意がからむと考え,容疑者の名前を教えてくれるよう願いながら2羽の鶏に毒物を与え,その反応で判断する。妖術へのおそれと,託宣による告発とは,社会統制の役割をになっていた。植民地支配を受けたあと,アザンデ族の社会も大きく変容し,商品作物としてカラシや綿が導入され,伝統的農業も変化した。ツェツェバエを避けて丘陵上への集落移転も実施され,土壌の肥沃な河谷部での農耕が禁止され,やせたサバンナ土壌での農耕を強いられた。
執筆者:赤阪 賢
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報