日本大百科全書(ニッポニカ) 「アッサム諸族」の意味・わかりやすい解説
アッサム諸族
あっさむしょぞく
インド北東部、現在ではアッサム、ナガランド、マニプル、ミゾラム、メガーラヤなどの州に分かれるアッサム地方に居住する人々。東はミャンマー(ビルマ)と接するアッサム地方は、古来からさまざまな民族が往来し、民族的に多様な地域である。そのおもなものを言語学的に分類すると以下のとおりである。
(1)オーストロアジア系―カーシ。
(2)チベット・ビルマ系―アカ、ダフラ、ミリ、アボル、ミシュミ(以上北アッサム群)、ガロ、ラルング、カチャリ(以上ボド群)、ミキル、ナガ、メイテイ。
(3)タイ系―アホム、カムティ。
(4)インド・ヨーロッパ系―アッサム、ベンガル。
このうちカーシの人々は中部インドのムンダなどと同様、東南アジアからインド北東部にかけて分布していたオーストロアジア語族が、あとから南下してきたチベット・ビルマ語系諸族によって分断され、孤立して取り残されたものといわれる。タイ系の人々がこの地に進出してアホム王国をつくるのは、ずっと遅れて13世紀である。平地に住むインド・ヨーロッパ系住民のなかには先住民族を吸収した痕跡(こんせき)がみられる。また、チベット・ビルマ語系で、クキ・チン語群のメイテイ語を話す人々は、18世紀にヒンドゥー化し、マニプルを支配し、一般にマニプル人とよばれる。
[横山廣子]
生業
20世紀前半の生業状況は次のとおりである。採集から初期農耕への移行段階にあった人々の存在も報告されているが、大多数は農耕によって生活を維持していた。焼畑が主だが、アホム、カムティ、ナガ、アッサムの人々は水稲耕作を行っていた。米のほか、根菜類、トウモロコシ、タバコ、トウガラシ、雑穀類を産出した。焼畑にするための伐採には山刀が用いられ、その他の農具は鍬(くわ)と掘り棒であった。犂耕(りこう)はアホムの人々にみられた。家畜として牛類、なかでもミタン牛、そしてブタ、ニワトリ、イヌが飼われていた。
[横山廣子]
社会
カーシおよびガロの社会は伝統的に母系制であった。その他の民族集団は、タイ系を除いて、父系出自集団に組織されるものが多い。ナガ系などの人々に若者宿がかなり広く普及していたことも知られている。
[横山廣子]
儀礼・宗教
タイ系を中心とする仏教徒、インド・ヨーロッパ系を中心とするヒンドゥー教徒などのほかは、アニミズム的要素を色濃く持つ宗教が信奉されてきた。かつては首狩りが広範に行われていた。葬制は大半が土葬だが、カーシやガロの人々などでは火葬である。19世紀以降、キリスト教の伝道師の活動によって、クリスチャンとなった者も少なくない。
[横山廣子]