アヌラーダプラ(その他表記)Anurādhapura

改訂新版 世界大百科事典 「アヌラーダプラ」の意味・わかりやすい解説

アヌラーダプラ
Anurādhapura

スリランカ中北部の同名県の県都。人口3万5981(1981)。古代シンハラSimhala王朝の首都で,前4世紀から約1300年間,王都として栄えた。5世紀にこの都を訪れた中国僧法顕(ほつけん)は,当時の町の繁栄仏教寺院の勢威を,その旅行記《法顕伝》に記録している。シンハラ王朝正史ともいうべき《マハーバンサMahāvaṃsa(大史)》は,アヌラーダプラの盛衰を克明に伝えている。貯水灌漑システムに基礎を置く古代シンハラ文明は,13世紀以降衰退の一途をたどり,広大な農地ジャングルと化した。しかし,20世紀に入ってから多くの灌漑施設の復旧がすすめられるとともに,アヌラーダプラの古代遺跡の整備・保存もはかられるようになった。今日なお上座部仏教の信仰の対象として生きている代表的な仏跡は,ルワンワリサーヤ大塔,スリマハボディ菩提樹,イスルムニヤ寺などである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アヌラーダプラ」の意味・わかりやすい解説

アヌラーダプラ
Anuradhapura

スリランカ中北部の都市。アヌラーダプラ県の県都。コロンボ北北東約 170kmに位置。前5世紀に建設。スリランカで2番目に古い首都で,古代シンハラ文明の中心地であった。アショーカ王の王子マヒンダがこの首都に仏教を伝え,シンハラ人の王デーバーナンピヤ・ティッサ民衆を仏教に改宗させたと史書に記録されている。南インドから進出してきたタミル人の攻撃により,8世紀シンハラ王朝はこの首都を放棄してポロンナールワに移った。以後 19世紀中頃まで完全に放棄され,ジャングルと化していたが,20世紀に復興し,仏教徒の巡礼地,交通の要地,商業中心地となった。数多くの仏教遺跡 (→アヌラーダプラ遺跡 ) があり,町の中心にあるボダイジュは,前 245年にインドのブッダガヤーから移されたもので,記録に残る現存樹木中最古のもの。東 2kmにあるミヒンタレーの丘は,マヒンダとデーバーナンピヤ・ティッサ王の会見の地として,仏教徒の巡礼地となっている。人口5万 6632 (2001速報値) 。

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百科事典マイペディア 「アヌラーダプラ」の意味・わかりやすい解説

アヌラーダプラ

スリランカ北部の古都。紀元前4世紀から13世紀ころまで古代シンハラ王朝の都として栄えた。仏教伝来以後の多くの仏跡があるので有名。1982年,世界文化遺産登録。人口5万7000人(2001)。
→関連項目ダンブッラの黄金寺院

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世界大百科事典(旧版)内のアヌラーダプラの言及

【スリランカ美術】より

…全時代を通じて仏教美術が優勢であり,中世以降南インドからの移住民によりヒンドゥー教美術も行われた。造形活動の中心地は前4世紀から1000年以上首都であったアヌラーダプラ,それに続いて12世紀を中心に繁栄したポロンナルワであり,遺構もそれらの周辺に多い。
[建築]
 建築は仏教やヒンドゥー教の宗教建築のほかに,王宮などの世俗建築もある。…

※「アヌラーダプラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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