ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アハティサーリ」の意味・わかりやすい解説
アハティサーリ
Ahtisaari, Martti
[没]2023.10.16. フィンランド,ヘルシンキ
マルティ・アハティサーリ。フィンランドの政治家。大統領(在任 1994~2000)。数々の国際紛争の調停役として知られ,平和解決に尽力した功績が認められ,2008年ノーベル平和賞(→ノーベル賞)を受賞した。
フィンランド領ビープリ(当時。→ブイボルグ)に生まれ,ソ連=フィンランド戦争でビープリがソビエト連邦に割譲された際に家を失う。フィンランド中南部のクオピオに移り住み,その後北西部のオウルに引っ越す。1959年オウル大学を卒業し,1960年代前半にはパキスタンでスウェーデン国際開発協力庁の教育プログラムに携わった。帰国後の 1965年外務省に入省,1973~76年駐タンザニア大使として赴任し,1975~76年にはザンビア,ソマリア,モザンビークの特命全権公使も兼ねた。1977~81年,内乱で荒廃したナミビアで国際連合事務総長特別代表として紛争調停に尽力,1980年代を通して外務省に籍を置いたまま国連代表としてナミビア紛争に取り組み,1989~90年国連チームを率いてナミビアの独立を見届けた(→ナミビア問題)。1992~93年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の和平協議でも,重要な役回りを演じた。
1994年大統領選挙に勝利すると,フィンランドのヨーロッパ連合 EU加盟を進めた。1999年 EU議長国となり,同年 6月には EU代表としてコソボ紛争終結のために仲介の労をとった。しかし内政面ではふるわず,2000年に行なわれた大統領選挙では候補になることはできなかった。その後,紛争調停を専門とする非政府組織「危機管理イニシアチブ CMI」を設立。2005年にはインドネシアのアチェ独立紛争の調停役を務め,政府と反政府武装組織自由アチェ運動 GAMとの和平合意にこぎつけた。同 2005年,国連暫定統治下のコソボ自治州の最終的地位交渉に向けて国連事務総長特使に任命され,2008年2月のコソボ独立への流れをつくった。これらの国際紛争解決への貢献が評価され,同年ノーベル平和賞を受賞した。2009~18年世界の紛争や問題の解決をはかる国際的指導者のグループ「ジ・エルダーズ」The Eldersに参加。2000年 J.ウィリアム・フルブライト国際理解賞,2008年国際連合教育科学文化機関 UNESCOのフェリックス・ウーフェ=ボワニ賞受賞。
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