日本大百科全書(ニッポニカ) 「自由憲章」の意味・わかりやすい解説
自由憲章(アフリカ史)
じゆうけんしょう
The Freedom Charter
南アフリカで1955年の「人民会議」において採択された宣言文。「人民会議」には、アフリカ民族会議(ANC)のアフリカ人代表のほか、インド系、カラード、白人の反アパルトヘイト運動組織の代表者も参加した。「南アフリカは、黒人、白人を問わず、そこに住むすべての人びとに属し、どんな政府も、全人民の意思に基づかない限り、その権威を正当に主張することはできない」という文言で始まり、自由、平等、民主主義、基本的人権を強調するこの憲章は、アパルトヘイトに代わる将来の南アフリカの政治体制のビジョンを示したもので、その後の反アパルトヘイト運動に広く共有される基本方針となった。
[牧野久美子]
自由憲章(イギリス史)
じゆうけんしょう
Charter of Liberties
1100年にイギリス王ヘンリー1世が戴冠(たいかん)式の宣誓の時に発布した特権認可状。ヘンリー1世は、王位の確立を図り、貴族と教会との支持を取り付けるため、先王ウィリアム2世時代の専制を改め、教会の特権を尊重し、また貴族らの相続権や封建的特権を尊重すること、さらにそれを貴族らの臣下にも及ぼして封建社会の慣行を確定し、悪評高いノルマン人殺人罰金を廃して、エドワード懺悔(ざんげ)王時代の法を遵守して平和を維持することなどを全国に宣言した。この憲章を尊重する伝統は、スティーブン、ヘンリー2世に受け継がれ、マグナ・カルタにもつながってゆく。イギリス中世憲制史上重要な憲章である。
[富沢霊岸]