アブデュル・メジト(読み)あぶでゅるめじと(その他表記)Abdülmecit

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アブデュル・メジト」の意味・わかりやすい解説

アブデュル・メジト
あぶでゅるめじと
Abdülmecit
(1823―1861)

オスマン・トルコ帝国第31代スルタン(在位1839~1861)。第30代スルタン、マフムト2世の子。17歳で即位した直後、トルコ近代史の端緒をなした「ギュルハネ勅令」を発布キリスト教徒を含む帝国内全臣民の生命、名誉、財産保障などを約束し、続いて軍事行政司法、教育など各分野の「近代化」諸改革を実施した。1853年以後、クリミア戦争契機財政は悪化し、列強干渉を許して帝国は植民地化していった。

[永田雄三]

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旺文社世界史事典 三訂版 「アブデュル・メジト」の解説

アブデュル=メジト(1世)
Abdül Mejiti Ⅰ

1823〜61
オスマン帝国の第31代スルタン(在位1839〜61)
ギュルハネ勅令を発布して父の改革事業を継続して促進する旨声明し,西欧の制度を取り入れて政治・社会・法律上の改革を行った(タンジマート)。また,外政では,イギリスパーマストン調停エジプトムハンマドアリーとの紛争エジプト事件)を解決したほか,クリミア戦争(1853〜56)でロシアに勝ち,1856年にパリ条約を締結した。

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世界大百科事典(旧版)内のアブデュル・メジトの言及

【ギュルハネ勅令】より

…1839年11月3日,オスマン帝国の大宰相で開明的なムスタファ・レシト・パシャによって布告されたスルタン,アブデュルメジト1世(在位1839‐61)の改革勅令。首都イスタンブールのギュルハネGülhaneにおいて発布されたのでその名称がある。…

【タンジマート】より

…18世紀末以後,オスマン帝国は,地方勢力の伸張,被支配諸民族の独立運動,ヨーロッパ諸国の軍事的・政治的侵略などの結果,帝国解体の危機に直面していた。1839年11月,スルタンのアブデュルメジト1世Abdülmecit I(在位1839‐61)は,外相ムスタファ・レシト・パシャに起草させた〈ギュルハネ勅令〉を発布して,帝国の危機を救い,スレイマン1世(在位1520‐66)時代の繁栄を取り戻すべく,広範な改革政治を実施することを宣言した。勅令では,イスラム教徒・非イスラム教徒を問わず帝国内全臣民の,法の前における平等,全臣民の生命・名誉・財産の保証,裁判の公開,徴税請負制(イルティザーム)の廃止,徴兵制の改善などが約束された。…

※「アブデュル・メジト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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