フランスの小説家。10月3日、フランス中央部シェール県に生まれる。両親は小学校教師。田園の美しい自然のなかで幸福な少年時代を過ごす。12歳で単身パリに出てリセ(高等中学校)に入るが、都会になじめず、まだ見ぬ海にあこがれてブレストのリセに転校、海軍兵学校入学に備える。しかし自然科学系の学業に困難を覚え断念。シェール県ブールジュのリセの哲学科を経て、1903年、高等師範学校(エコール・ノルマル)受験のためパリのラカナル寄宿学校に入る。ここで生涯の友ジャック・リビエールと出会う。またこのころ街で擦れ違った女性イボンヌ・ド・キエブルクールを永遠の女(ひと)と思いそめる。この感動が創作の原点となる。1907年7月24日入試に失敗、その翌日にイボンヌの結婚を知る。実らぬ恋を胸に、兵役終了後文筆の道を志し、雑誌の文芸欄などを担当。1913年、『NRF(エヌエルエフ)』誌7月号から10月号にかけて『モーヌの大将』を連載し注目を集めた。だが、翌1914年8月召集を受け、9月22日ベルダン付近サン・レミの森で戦死。28歳。ほかに、散文集『奇蹟(きせき)』(1924刊)と、友情と文学的情熱を傾けたリビエールとの『往復書簡集』が残された。
[真崎隆治]
フランスの小説家。本名はHenri Alban Fournier。1913年《NRF(エヌエルエフ)》誌に連載されたのち直ちに刊行された《モーヌの大将LeGrand Meaulnes》の作者。この小説は夢と現実の混淆した幻想的世界における青春の内的冒険を描きだし,これまでの写実的な小説と対立するまったく新しい小説として迎えられ,以後若い世代の作家たちに大きな影響をあたえた。しかし第2作を完成する間もなく,第1次世界大戦に出征して,14年9月戦死した。彼が親友ジャック・リビエールとかわした1905年から14年までの《往復書簡》は,26年から28年にかけて出版され,1900年代の青春の精神の軌跡を示すものとして,ひろく読まれている。
執筆者:渡辺 一民
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1886.10.30 - 1914.9.22
フランスの小説家。
シャペル=ダンジョン(フランス中部シェール県)生まれ。
本名アンリ・フルニエ。
1898年パリに出て、ヴォルテール高等中学に入学。その後、ブレスト、ブルージュの高等中学で学び、師範学校受験のため、パリのラカナル寄宿学校に入学。同校でジャック・リヴィエールと知り合う。象徴主義文学に親しみ、詩作を始める。高等師範学校の試験に失敗し、新聞記者を務めたが、1913年「モーヌの大将」を雑誌に発表。同作品は子供時代への郷愁、昔の甘美な恋の中に絶対への憧れを残すネルヴァル風作品である。’14年陸軍中尉として戦闘を指揮していたが、行方不明となる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
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