カノバス・デル・カスティリョ(英語表記)Cánovas del Castillo, Antonio

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

カノバス・デル・カスティリョ
Cánovas del Castillo, Antonio

[生]1828.2.8. マラガ
[没]1897.8.8. ギプスコア,サンタアグエダ
スペイン政治家ブルボン家王政復古尽力し,保守党領袖として P.サガスタの率いる自由党とともに二大政党制を樹立したことで知られる。 1852年 L.オドンネル将軍に紹介され,のちにその政治顧問となった。 54年コルテスに選出されたがまもなく辞任。 55年バチカンへ派遣され,57年帰国。内相,植民地相を経て,74年首相。 85年国王アルフォンソ 12世が死去すると,王妃マリア・クリスティナからアルフォンソ 13世への王位継承を平和裡に果した。 74~97年まで6回首相をつとめ,内政面では秩序民族の統一をもたらしたが労働者階層を満足させえなかった。キューバ問題では硬直した戦争政策をとり,状況を悪化させた。イタリア人無政府主義者アンジオリッロによって暗殺された。『フェリペ4世治世の研究』 Estudios del rainado de Felipe IV (3巻,1888~89) などの著書がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 の解説

カノバス・デル・カスティリョ
Antonio Cánovas del Castillo
生没年:1828-97

スペインの政治家,歴史家。保守穏健派に属し,1854年以降スペイン政治の中心人物閣僚を歴任し,アルフォンソ12世守役にも任じられた。王政復古(1874)後,首相となり,イギリス型の二大政党制の移植を意図した1876年憲法を制定したが,当時興隆してきた労働運動には理解が及ばず,97年,アナキストによって暗殺された。スペイン・ハプスブルク王朝の歴史研究の専門家であった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

カノバス・デル・カスティリョ
Antonio Cánovas del Castillo

1828~97

スペインの政治家。1854年革命政権下に議員となる。自由連合メンバー。60年王立歴史アカデミー入り。68年革命に続く政権下では普通選挙の導入,信教の自由承認に反対。王政復古後,保守党党首として首相(在任1874~97)を務め,76年憲法公布に尽力。85年,自由党党首サガスタとパルド協定を結び,二大政党制をとりいれ,保守的政治秩序の確立,安定をめざす。97年アナーキストに暗殺された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のカノバス・デル・カスティリョの言及

【スペイン】より


[公式のスペインと現実のスペイン]
 王政復古を意図した保守派の政治家が支援を受けて,まず1874年1月2日に,パビア将軍(1827‐95)がマドリードで蜂起し,同年12月,サグントでマルティネス・カンポスArsenio Martínez Campos将軍(1831‐1900)のクーデタが勃発したため,第一共和国は直ちに倒れ,その結果,アルフォンソ12世(在位1874‐85)が新国王となり,王政が復活した。そして,74年以降の王政復古期の舵は保守派の領袖カノバス・デル・カスティリョの掌中に握られた。カノバスの政治理念は1876年憲法に具現されているように,イギリス型の二大政党制に基づく立憲君主制の確立であった。…

※「カノバス・デル・カスティリョ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

コンビニ交付

マイナンバーカードを利用して、自治体が発行する各種証明書をコンビニやスーパー、郵便局などで取得できるサービス。申請から受け取りまでの手続きがマルチコピー端末で完結する。2023年12月からはマイナカ...

コンビニ交付の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android