アルント(読み)あるんと(その他表記)Ernst Moritz Arndt

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルント」の意味・わかりやすい解説

アルント
あるんと
Ernst Moritz Arndt
(1769―1860)

ドイツの愛国詩人、著述家。12月26日リューゲン島の小農民の家に生まれる。グライフスワルト大学、ついでイエナ大学フィヒテのもとで神学を修め、のちグライフスワルト大学歴史学教授となった。主著『時代の精神』4巻(1806~1818)の熱烈な民族主義ナポレオン批判がもとでスウェーデンへ、さらにシュタインとともにロシアへ亡命。その間多くの愛国詩、論説によってドイツ国民意識の高揚に努め、ナポレオンのドイツ支配に反対して闘った。解放戦争(1813~1814)後ボン大学歴史学教授となったが、1820年ブルシェンシャフト運動に関与したとして免職され、のちに復職した。1848年フランクフルト国民議会議員に選ばれ、小ドイツ主義者として活動した。1860年1月20日死去。

[岡崎勝世]

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改訂新版 世界大百科事典 「アルント」の意味・わかりやすい解説

アルント
Ernst Moritz Arndt
生没年:1769-1860

ドイツの愛国詩人,歴史学者。リューゲン島の解放農奴の子。1800年よりグライフスワルト大学で歴史学を担当。ナポレオン軍のドイツ侵攻に伴い,反仏感情をこめた《時代の精神》(1806-18)をもってドイツ人の民族意識を代弁し反響を呼ぶ。12年にシュタイン男爵の秘書となる。対ナポレオン解放戦争では,詩集《ドイツ人のための歌》(1813)が広く愛唱された。15年,雑誌《番人たち》を創刊ウィーン会議による反動体制を批判する。18年ボン大学教授に就任したが,扇動家のかどで20年に解任。フランクフルト国民議会では,議員としてプロイセン主導の立憲世襲帝政を主張した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルント」の意味・わかりやすい解説

アルント
Arndt, Ernst Moritz

[生]1769.12.26. ショーリツ
[没]1860.1.29. ボン
ドイツの歴史家,愛国詩人。カント,フィヒテの影響を受け,1806年グライフスワルト大学の教授となったが,国民精神の高揚を目指した『時代の精神』 Geist der Zeit (1806~18) の第1部がナポレオンの忌諱に触れ,ストックホルムに逃亡,同地で反ナポレオンの雑誌を発行。 13年帰国し,自由戦争をたたえた愛国歌を多数つくった。 18年ボン大学教授。ほかに自伝『外面生活の思い出』 Erinnerungen aus dem äusseren Leben (40) など。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アルント」の解説

アルント
Ernst Moritz Arndt

1769〜1860
ドイツの愛国的詩人
ナポレオン1世の侵略に抵抗し,シュタインと結んでドイツ人の愛国心を鼓舞する詩・政治論文を書き,解放戦争に尽力。三月革命後,国民議会に選出され,プロイセン中心の立憲君主政統一国家の実現(小ドイツ主義)を主張した。

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