ベルギーの理論物理学者。ブリュッセル生まれ。1955年ブリュッセル自由大学電気工学科卒業、1958年同大学大学院で物理学を修め、1959年に博士号を取得した。同年渡米し、アメリカのコーネル大学の博士研究員としてベルギー人物理学者ロバート・ブラウトRobert Brout(1928―2011)の指導を受ける。1960年から同大学物理学科助教授。1961年に母国に戻り、ブリュッセル自由大学講師を経て、1964年から1998年まで同大学教授、1980年からは同大学理論物理学の主任教授を務めた(ブラウトとともに理論物理学グループの共同代表)。1998年に同大学名誉教授。1984年からイスラエルのテルアビブ大学客員教授、2011年からはアメリカのカリフォルニア州にあるチャップマン大学量子力学研究所の客員教授に就任した。
物質の最小単位は、原子ではなく、より小さな粒子「素粒子」で構成されることが1960年代までに次々に明らかにされた。素粒子には物質粒子と力を伝える粒子があり、この世にある四つの力のうち、「強い力」「弱い力」「電磁力」の三つの力(残り一つは「重力」)に関係するのが、「力を伝える粒子」(ゲージ粒子)である。これを体系化したのが素粒子物理学の根幹をなす「標準理論」である(重力は標準理論では説明されていない)。この理論では、アインシュタインの特殊相対性原理などに立脚し、「ゲージ粒子は質量をもたない」とされていた。しかし、現実にはゲージ粒子も質量をもち、標準理論の欠陥が指摘されていた。
こうしたなか、アングレールは、ブラウトと1964年に、ゲージ粒子に「対称性の自発的破れ」の理論を適用すると、質量が与えられるのではないかという概念を発表。アングレールらに遅れること2か月、エジンバラ大学のピーター・ヒッグスも同様に、粒子に質量発生を明確に表す運動方程式の論文を発表した。これらの理論のもとになったのは、アメリカのシカゴ大学名誉教授の南部陽一郎(2008年ノーベル物理学賞受賞)が1961年に提唱した理論「対称性の自発的破れ」だった。二つのグループの概念はのちに「ヒッグス機構」とよばれ注目された。
この理論の完成度を高め、揺るぎないものにしたのが、アメリカの物理学者ワインバーグ、パキスタンの物理学者サラムが、それぞれ1967年と1968年に個別に提唱した「弱・電磁理論(ワインバーグ‐サラムの理論)」である。これは、弱い力と電磁力をゲージ理論の観点から統一的に扱うことを可能とするもので、そのためには、ゲージ粒子に質量を与えるヒッグス粒子が少なくとも一つあるはずであるという内容だった。ビッグバンによって宇宙が誕生したとき、さまざまな素粒子が飛び交い、ヒッグス粒子が存在するヒッグス場も形成された。しかし、質量ゼロの素粒子は軽く、光速で飛び交い、質量を与えられなかった。やがて、宇宙が冷えていくと、ヒッグス場も水が氷になるように相転移(こうした変化が、「対称性の自発的破れ」である)が起き、質量がゼロだった「弱い力」などのゲージ粒子が、ヒッグス粒子と結びついて質量をもつという考え方である。
ヒッグス粒子をとらえるため半世紀近く、さまざまな実験による観測が続けられてきた。2012年7月、スイスにあるヨーロッパ原子核研究機構(CERN(セルン))の世界最強の大型ハドロン衝突型加速器(LHC:Large Hadron Collider)を使った二つの国際共同実験グループ「ATLAS(アトラス)(A Toroidal LHC ApparatuS)」と「CMS(Compact Muon Solenoid)」が、ヒッグス粒子とみられる素粒子を相次いで発見した。LHCは全長約27キロメートルのリング状の加速器で、光速並みに加速した陽子を正面衝突させて質量125~126GeV(ギガ電子ボルト)のヒッグス粒子を発見した。
ヒッグス粒子の発見で、物質に質量を与える仕組みの一端が解明されたが、実は質量を与えたのは「弱い力」を担うゲージ粒子のみであった。宇宙全体をみたときに、「標準理論」で説明される素粒子は宇宙全体のわずか4%程度で、残りは暗黒エネルギー、暗黒物質(ダークマター)とよばれ、世界中で解明が進められている。
1997年高エネルギー・素粒子物理学賞、2004年ウルフ賞(物理学部門)、2010年J・J・サクライ賞、2013年トムソン・ロイター引用栄誉賞、同年「質量の起源の理解につながるヒッグス機構の発見」の功績でヒッグスとともにノーベル物理学賞を受賞した。
[玉村 治 2021年11月17日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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