日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンドレーエフ」の意味・わかりやすい解説
アンドレーエフ(Leonid Nikolaevich Andreev)
あんどれーえふ
Леонид Николаевич Андреев/Leonid Nikolaevich Andreev
(1871―1919)
ロシアの小説家。ヨーロッパ・ロシア中部の町オリョールに生まれる。父は小官吏で、貧窮のなかで育った。モスクワ大学法学部を卒業後、弁護士事務所の助手として働いている間に、新聞社から裁判記録執筆の依頼を受け、それが作家生活に入るきっかけとなった。作家としての経歴は1898年に始まるが、ゴーリキーの庇護(ひご)もあって、一躍人気作家となる。当初の写実的な傾向から象徴主義ないしは表現主義的な作風に転じていったが、全体を貫く根本的なテーマは死と性の問題である。それと関連して、都会の孤独、神の不在、あるいは、テロリストや日露戦争、1905年の革命など、次々と時事的な流行のテーマを取り上げ、人間の存在、生の意味を問うた。発想は根本的にかなり観念的であり、近代ヨーロッパを支配した合理主義、個人主義では、もはや人間や世界を律しえぬことを示唆し、理性と本能、また全体と個人の間に引き裂かれている現代人に警鐘を打ち鳴らした。その意味で、20世紀初頭にあっては、現代の先端をゆく作家と目され、世界各国で多数の翻訳が出ている。革命後フィンランドに亡命、失意のうちに生涯を終えた。日本でも明治末から大正期へかけて数多くの翻訳が出ており、人間が人格の崩壊に瀕(ひん)して、生理、神経、肉体の状態として現れ、かつ世界もまた、はっきりした輪郭を失い、個人の主観、気持ちを通してしか現れぬという描写の手法からして、現代を先取りする作家と受け取られた。夏目漱石(そうせき)、志賀直哉(しがなおや)をはじめとして、とくに大正期に輩出してきた作家に意外に大きな影響を及ぼしているが、これは今後発掘されるべき課題である。代表作は『赤い笑い』(1904)、『心』(1902)、『霧』(1902)、『七死刑囚物語』(1908)、『悪魔の日記』(1919)、戯曲『人間の一生』(1907)など。
[小平 武]
『森鴎外訳『犬』『歯痛』『人の一生』(『森鴎外全集6』所収・1972・岩波書店)』▽『小平武訳『悪魔の日記』(1973・白水社)』▽『原卓也訳「霧の中」(『世界文学全集60』所収・1979・集英社)』
アンドレーエフ(Andrey Andreevich Andreev)
あんどれーえふ
Андрей Андреевич Андреев/Andrey Andreevich Andreev
(1895―1971)
ソ連の政治家。スモレンスク県の農家に生まれる。1914年ボリシェビキ党(共産党)に入党し、第一次世界大戦中はペトログラード(サンクト・ペテルブルグ)の金属労働組合を指導、十月革命(1917)に参加する。第9回党大会(1920)以降、第10回大会を除いて、第20回大会(1956)まで党中央委員に選出され、1932~1952年には党政治局員。この間、交通人民委員(1931~1935)、農業人民委員(1943~1946)、副首相(1946~1953)を務めた。1953年から最高会議幹部会会員、1962年以降、同顧問。
[藤本和貴夫]