現代人(読み)ゲンダイジン(英語表記)Sovremennik

デジタル大辞泉 「現代人」の意味・読み・例文・類語

げんだい‐じん【現代人】

現代に生きている人々。
「その上彼には―のもたない強情と我慢がありました」〈漱石こゝろ

げんだいじん【現代人】[映画]

渋谷実監督による映画の題名。昭和27年(1952)公開。汚職に手を染めた官僚の姿を描く。出演池部良、小林トシ子、山田五十鈴ほか。第7回毎日映画コンクール監督賞受賞。

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精選版 日本国語大辞典 「現代人」の意味・読み・例文・類語

げんだい‐じん【現代人】

〘名〙 現代に生きている人。
※あそび(1910)〈森鴎外〉「併しこんな、けちな悪意では、ニイチェ主義の現代人にもなられまい」

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改訂新版 世界大百科事典 「現代人」の意味・わかりやすい解説

現代人 (げんだいじん)
Sovremennik

1836-66年にロシアのペテルブルグで刊行された雑誌。《同時代人》とも訳す。プーシキン創刊し,彼の《大尉の娘》やゴーゴリの《鼻》などを掲載した。47年からネクラーソフパナーエフが編集し,最晩年のベリンスキーが理論的指導に当たった。彼は評論《1847年のロシア文学概観》《雑誌“モスクワ人”への回答》で専制と農奴制を批判し,〈自然派〉を擁護,ゲルツェンツルゲーネフゴンチャロフたちの作品を掲載した。ベリンスキー死後もトルストイの自伝的三部作,ツルゲーネフ《猟人日記》の大半が掲載されたが,56年チェルヌイシェフスキーが編集権を得,57年ドブロリューボフを迎えて〈功利主義〉的美学を掲げ,編集部内の自由主義的傾向の人々,〈純粋芸術〉派と対立した。主導権を握った2人はゴンチャロフの《オブローモフ》などの作品や評論を掲載するとともに,農奴解放をめぐる政論を多数執筆,共同体的土地所有,農民社会主義の理論を展開し,《現代人》は〈革命的民主主義〉の中核となり,ロンドンのゲルツェンの《コロコル》紙と論争した。同誌に掲載されたものにチェルヌイシェフスキーの評論《ロシア文学におけるゴーゴリ時代概観》や小説《何をなすべきか》,ドブロリューボフの評論《オブローモフ主義とは何か》などがある。61年ドブロリューボフの死と翌年チェルヌイシェフスキー逮捕の後も急進派の牙城であったが,66年カラコーゾフの皇帝狙撃(そげき)事件後に廃刊処分を受けた。その事業は《祖国雑記》誌に引き継がれる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「現代人」の意味・わかりやすい解説

現代人
げんだいじん
Современник/Sovremennik

帝政ロシアの文芸雑誌。『同時代人』とも訳す。1836年プーシキンによりペテルブルグ(現サンクト・ペテルブルグ)で創刊。46年ネクラーソフとパナーエフが版権を買い取り、ベリンスキーを主幹に迎え、翌年から季刊を月刊とする。50年代チェルヌィシェフスキー、ドブロリューボフが編集の実権を握り、革命的民主主義者の機関誌の観を呈すが、61年に発行部数は7000を超した。66年6月勅令により廃刊。この間、有数の作家、詩人、批評家が寄稿し、ロシア文学の発達に強力な影響を及ぼした。

[箕浦達二]

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デジタル大辞泉プラス 「現代人」の解説

現代人

1952年公開の日本映画。監督:渋谷実、脚本:猪俣勝人、脚色:斎藤良輔。出演:池部良、小林トシ子、山村聡、高野由美、山田五十鈴、多々良純、伊達信ほか。第7回毎日映画コンクール監督賞、女優主演賞(山田五十鈴)ほか受賞。

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世界大百科事典(旧版)内の現代人の言及

【ドブロリューボフ】より

…ロシアの文芸批評家。ニジニ・ノブゴロド(現,ゴーリキー)の司祭の家庭に生まれ,ペテルブルグ高等師範学校に在学中,チェルヌイシェフスキーの知遇を得て反政府主義的な雑誌《現代人》の編集に参加。文芸批評の欄を担当し,《闇の王国》(1856),《オブローモフ気質とは何か》(1859),《打ちのめされた人々》(1861)等の論文を書き,農奴解放前夜の革命派の指導者として活躍した。…

【ネクラーソフ】より

…当時ようやく商売になり始めた新聞・雑誌の仕事をして,ベリンスキー,ツルゲーネフ,パナーエフ,ドストエフスキーらを知り,これら新人の作品を集めて45年《ペテルブルグ生理学》,46年《ペテルブルグ文集》を刊行して好評を得た。47年にはプーシキンが創刊した月刊総合誌《現代人》の発行者となり,チェルヌイシェフスキー,ドブロリューボフらを編集陣に加えて,農奴解放前後の言論自由化の波に乗って発行部数をのばし,文壇を支配し世論を指導した。この時期,彼の精神も高揚し,《正面玄関の物想い》(1858),《天候について》(1859‐65),《ひと時の騎士》(1860),《厳寒の赤鼻》(1863)等々,ロシア詩のジャンルと様式を革新する作品が書かれた。…

【ベリンスキー】より

…スタンケービチのサークルでヘーゲル哲学を学び,一時期保守的な思想を抱き,現体制を擁護する論文を書いたこともあったが,ゲルツェンとの交遊を通じて,1840年の末には農奴制と専制と教会の批判者となった。以後は《祖国雑記》や《現代人》誌を中心に文壇を指導し,〈自然派〉と呼ばれる革新的文学グループを形成,ツルゲーネフやドストエフスキー等多くの作家を世に送りだした。厳しい検閲下のロシアにおいては,文学が思想を表現する唯一の場であったことから,彼は〈純粋芸術〉としての文学を拒否し,作家に高い社会的自覚を求めた。…

※「現代人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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