イオニア学派(読み)いおにあがくは

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イオニア学派」の意味・わかりやすい解説

イオニア学派
いおにあがくは

小アジア西海岸中部のイオニア地方には、古代ギリシアの幾多の植民市があったが、この地方は陸や海を介して東方の先進諸国と接触しており、古いオリエント文明の影響を受けて早くから文化が開けていた。紀元前6世紀ごろこの地方に哲学が誕生し、ギリシア最古の哲学者たちを輩出したが、彼らを総称してイオニア学派とよんでいる。その哲学は、自然(フュシス)を問題とする自然哲学であるが、彼らはこの問題に対してまず一つの根本的な物質(アルケー。もとのもの)を求め、これに基づいて自然の成り立ちを論じたため、それは本質的には一元論である。また、この根本物質が活(い)きており、自ら運動変化して万物を生ずると説いたため、物活論(ヒュロツォイスムス)の立場にもたっている。さらに、この活きている根本物質から宇宙がどのように形成されたかを解明することが、この学派の重要な課題であったため、その哲学の形式は、宇宙の起源や構成を論じる宇宙論であった。イオニア学派に所属するおもだった人々は、タレスアナクシマンドロスアナクシメネスヘラクレイトス、ヒッポン、アポロニアディオゲネスらである。このうちミレトス出身のタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスはとくにミレトス学派とよばれ、ヒッポン、ディオゲネスもまたミレトス学派の末裔(まつえい)とされている。

鈴木幹也

『ジャン・ブラン著、鈴木幹也訳『ソクラテス以前の哲学』(白水社・文庫クセジュ)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イオニア学派」の意味・わかりやすい解説

イオニア学派
イオニアがくは
Ionian school

イオニアは小アジアの海岸に位置していた古代ギリシアの植民地で,早くから東方との交流もあって都市が栄え,文化が発達し,哲学の発祥地ともなった。この地に出た哲学者たちがイオニア学派である。この学派にはミレトス学派のタレスアナクシマンドロスアナクシメネス,さらに後期のアポロニアのディオゲネス,ヒッポンらが含まれ,エフェソスヘラクレイトスもこれと深い関係に立つ。アリストテレスはタレスを,神話的表現とは異なった学問的方法を導入して自然的原理を立てようとした試みのゆえに,哲学の創始者として位置づけたが,ミレトス学派は一般に,存在するものの普遍的本質を求め,それを物質的な質料あるいは基体のうちに見出し,アルケ (原理) から諸元素が導出されるという一元論を構成した。

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