イギリス領西アフリカ(読み)イギリスりょうにしアフリカ(その他表記)British West Africa

改訂新版 世界大百科事典 「イギリス領西アフリカ」の意味・わかりやすい解説

イギリス領西アフリカ (イギリスりょうにしアフリカ)
British West Africa

アフリカ大陸の西部大西洋に面した地域にあったイギリス植民地保護領総称。現在のガンビアシエラレオネガーナナイジェリアをさす。19世紀後半,イギリスはガンビア河口のバサースト(現,バンジュル),フリータウンケープコースト,ニジェール川デルタ地帯,ラゴスを基地として,西アフリカ内陸部へ進出した。とくに1880年代以後,それは加速され,1900年には上述4地域のほぼ全域がイギリスの直轄植民地,保護領となった。この4地域が統一的に統治されたのは,1866年から74年までの短期間にすぎず,その他の時期は,各地域別に任命された総督によって統治された。ただし,通貨は,1912年に創設された西アフリカ通貨委員会が各地に共通する西アフリカ・ポンド券を発行していたが,各国独立後における中央銀行制度の整備とともにその役割は縮小され,71年のガンビア中央銀行の発足によって消滅した。軍隊は,1897年に組織された西アフリカ前線軍が西アフリカ4地域共通の軍隊であり,最高総司令部アクラに置かれていた。ガーナの独立が近づいた1956年に総司令部は廃止され,前線軍のガーナ連隊はガーナの国軍となった。4地域共有の航空会社,西アフリカ航空も各国の独立とともに解体した。4地域ともに,独立後もイギリス連邦体制下にとどまり,法律言語,教育,文化の共通性は現在も保持されており,イギリス連邦関連諸機関に加盟し,協力関係を維持している。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イギリス領西アフリカ」の解説

イギリス領西アフリカ(イギリスりょうにしアフリカ)
British West Africa

西アフリカの旧イギリス領植民地,保護領で現ガンビアシエラレオーネガーナナイジェリアにあたる地域。19世紀後半,イギリスは西アフリカ各地沿岸から内陸部へ支配を広げた。1866~74年の期間を除いて,各地域は別々の総督の統治下にあった。97年に組織された西アフリカ前線軍の最高司令部はアクラに置かれた。ガンビア,シエラレオーネ,ガーナ,ナイジェリアは独立後もイギリス連邦関連機関に加盟し,協力関係は残っている。

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百科事典マイペディア 「イギリス領西アフリカ」の意味・わかりやすい解説

イギリス領西アフリカ【イギリスりょうにしアフリカ】

英国植民地時代に大西洋に面したアフリカ大陸西部にあった植民地・保護領の総称。現在のガンビア,シエラレオネ,ガーナ,ナイジェリアが含まれる。これらの地域は1900年には英国の直轄植民地ないし保護領となったが,全体が統一して統治されたのはごく短期間にすぎず,各地域に任命された総督が統治に当たった。第2次大戦後,ガーナ(1957年),ナイジェリア(1960年),シエラレオネ(1961年),ガンビア(1965年)とそれぞれ独立を達成して共和国となったが,独立後もイギリス連邦に留まった。しかし現在もナイジェリアをはじめとして民族・宗教の対立による内戦に悩まされている国が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス領西アフリカ」の意味・わかりやすい解説

イギリス領西アフリカ
いぎりすりょうにしあふりか
British West Africa

ガンビア、シエラレオネ、ゴールド・コースト(現、ガーナ)、ナイジェリアなど、西アフリカにあったイギリス植民地の総称。これらの国は1808年から1874年にかけてイギリスの植民地となったが、個々別々の植民地、保護領として統治された。唯一の共通機構として、1912年、4地域に共通する西アフリカ・ポンドの発行を管理する西アフリカ通貨委員会が組織されたが、1950年代末から1960年代にかけて各国が独立し中央銀行を設置したため解消した。

[中村弘光]

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