イバルリ(読み)いばるり(その他表記)Dolores Ibarruri

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イバルリ」の意味・わかりやすい解説

イバルリ
いばるり
Dolores Ibarruri
(1895―1989)

スペインの女性政治家。スペイン共産党長老バスク地方炭坑夫の家に生まれ、若くして労働運動に身を投じ、第一次世界大戦後創立されたスペイン共産党に創立当初から参加した。1930年には古参党幹部たちが除名されたため中央委員に、ついで1932年には政治局員に昇進した。「ラ・パッショナリア」(受難華)という別名でも知られる。1936年2月の総選挙で国会議員に選ばれ雄弁の才を発揮した。1936年7月に始まった内戦では、人民戦線政府への外国の支援を得るため奔走してヨーロッパ的名声を得たが、コミンテルン路線の忠実な代弁者でもあった。内戦敗北後はフランスを経てソ連亡命した。1942年にスペイン共産党書記長、1960年に党議長に就任フランコ死後の1977年帰国晩年カリリョらのユーロコミュニズム路線を受け入れた。

[平瀬徹也]

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改訂新版 世界大百科事典 「イバルリ」の意味・わかりやすい解説

イバルリ
Dolores Ibarruri
生没年:1895-1989

スペインの女性政治家。ラ・パッショナリア(受難華)の異名で知られる。バスク地方の労働者の家庭に生まれ,若くして労働運動に参加。社会党を経て,1921年,共産党創設と同時に入党。32年には党中央委員となり,反ファシスト統一戦線,のちにスペイン人民戦線の結成を指導する一人となる。36年総選挙で国会議員に選出され,内戦突入寸前の国会で熱弁をふるう。内戦中にも〈ひざまずいて生きるより立って死ぬ方がましだ〉などのスローガンを掲げ,共和国政府軍を鼓舞,指導したが,39年フランコの勝利を機にモスクワへ亡命。42年からスペイン共産党書記長を務め,60年にS.カリリョに席を譲って党議長となった。いわば,反フランコ勢力の象徴的存在で,フランコの死後,77年4月,共産党が合法化されると,翌月帰国,高齢ながら6月15日の41年ぶりの総選挙で,スペイン政界に返り咲いた。
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百科事典マイペディア 「イバルリ」の意味・わかりやすい解説

イバルリ

スペインの女性政治家。若い頃から労働運動に関わり,1921年にスペイン共産党創立に参加。1936年からのスペイン内乱では,ヨーロッパ諸国を回って人民戦線政府の支援を求めた。その激しい情熱から〈ラ・パショナリアLa Pasionaria(情熱の花)〉と呼ばれたが,内乱フランコ軍が勝利したため国外に亡命した。フランコの死によって軍事独裁は終わり,1977年のスペイン共産党合法化でソ連から帰国。なお,亡命中の1942年に共産党書記長となった。

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