日本大百科全書(ニッポニカ) 「スペイン共産党」の意味・わかりやすい解説
スペイン共産党
すぺいんきょうさんとう
Partido Comunista de España
1922年、スペイン社会労働党から分かれたコミンテルン(第三インターナショナル)支持派によって創立。初期には党内論争と政府の弾圧で影響力は弱く、31年の第二共和国にも敵対的姿勢を示した。32年、ディアスやイバルリが指導者となり、民主主義的課題を重視する路線転換が行われた。34年の「10月闘争」ではアストゥリアス・コミューン(アストゥリアスの鉱山労働者による武装蜂起(ほうき)におけるコミューン)の一翼を担った。36年の人民戦線連合に加わり、人民戦線連合が選挙に勝利すると政府に協力した。この後、急速に党勢を伸張させた。36~39年の内戦では、共和国政府に入閣し農地改革を主導、中間層擁護の政策、効果的な軍隊編成、ソ連の援助などによって共和国の有力政治勢力となった。
内戦敗北後、多くの党員が亡命し、ゲリラ闘争も効果をあげなかったが、1956年にはフランコ独裁政権の平和的打倒を目ざす「国民的和解」路線を採用した。このころから労働運動や知識層に浸透、またカトリック勢力との共同が進められた。60年にカリリョが書記長に就任、60年代前半の党内論争を経て、70年代には民主評議会を主導して反独裁運動を展開、フランコ体制崩壊後の77年に合法化された。同年の総選挙では第3党となり、また国際的には「ユーロコミュニズム」の旗手として注目を集めた。スペイン社会党(スペイン社会労働党)が勝利した82年の総選挙で後退したことからカリリョが辞任、その後、党内不統一が顕著となった。80年代後半からはほかの左派勢力との共同組織である統一左翼で選挙に臨み、NATO(北大西洋条約機構)加盟反対運動などを主導した。90年代には政治勢力としては第3党にあったが、労働運動では強大な影響力が認められる。
[深澤安博]
『楠貞義、R・タマメス、戸門一衛、深澤安博著『スペイン現代史――模索と挑戦の120年間』(1999・大修館書店)』