日本大百科全書(ニッポニカ) 「イブン・ハッリカーン」の意味・わかりやすい解説
イブン・ハッリカーン
いぶんはっりかーん
Ibn Khallikān
(1211―1282)
イラク生まれのイスラム教法学者、伝記作者。アフガニスタン系名門バルマク家の後裔(こうえい)として北イラクのアルベラで生まれ、同地でイスラム学の教育を受けてからシリアへ行き、アレッポ、ダマスカスで学び、さらにカイロへ赴いて研究を続け、カーディー(法官)となった。マムルーク朝下のシリアに赴き、ここでも法官を務めたが、一時失脚してカイロへ戻り、のちに再度シリアへ赴いて、死去の前年までこの地にとどまった。彼が後世に残した最大の業績は『ワファヤート・アル・アアヤン・ワ・アンバー・アブナー・アッザマーン』(当代の名士録)という題の人名辞典を編述したことであった。これには865人の有名人の事績が書かれ、中世イスラムの知的活動を知るために欠かせない資料となっている。1843~1871年にド・スラーヌWilliam MacGuckin de Slane(1801―1878)による英訳が刊行された。またイブン・シャーキル・アル・クトゥルビーIbn Shākir al-Kutubī(1287―1363)の『ファワート・アル・ワファヤート』はこの人名辞典の補遺である。
[矢島文夫 2018年4月18日]