1912年から1917年にかけてアメリカ、イギリスでおこった詩の運動。詩に明確で精密なイメージを回復させることを目標とする。E・W・L・パウンドが、その詩集『当意即妙(リポースト)』(1912)の巻末に付録としてあげたT・E・ヒュームの短詩について、このことばを用いたことに始まる。当初はimagismと小文字始まりで表記されていた。その特色は、翌1913年の詩誌『ポエトリ』掲載のパウンド著「1イマジストによるべからず集2・3」と、F・S・フリントFrank Stuart Flint(1885―1960)著「イマジスト綱領」によると次の三つである。(1)瞬間のうちに知的、情緒的な複合体を呈出すること。(2)余剰を切り詰めて、具体的な「事物」それ自体を明確なことばで表現すること。(3)因習的な韻律を排して、新しい音楽性をもった韻律を創始すること。これには日本の俳句、中国の詩などの影響が強く、文学運動として絵画の領域にできるだけ接近しようとした試みということができる。ここには、19世紀的な観念的で情緒過剰な詩への激しい挑戦の意図がある。パウンドは1914年に詞華集『デ・ジマジスト』を刊行し、J・G・フレッチャー、オルディントン、A・ローウェル、ドゥーリトル(H.D.の筆名で著名)らの作品を世に送った。しかし、その後パウンドは、この運動が静止的にすぎることに飽き足らず、「渦巻主義(ボーティシズム)」を創始し、ローウェルが中心となったため、「エイミジズム」などと悪口をいわれて下火になった。
[出淵 博]
『アール・マイナー著、深瀬基寛・大浦幸男訳『西洋文学の日本発見』(1959・筑摩書房)』
1910年代,エズラ・パウンド主唱の下に起こった英米の自由詩運動。1909年3月,反ロマン主義の詩論家T.E.ヒュームは,〈詩人クラブ〉を脱会して,仲間の詩人たちと毎週,ロンドン市内のソーホー地区の安レストランに集まり,フランスの象徴詩や日本の俳句にヒントをえて,イメージを重んじた自由詩の実験を試みた。この集りは1年ほどしかつづかず,彫刻家から社会運動家までを含む広範な社交の集りに変わってしまった。したがって,イマジズムという名称の運動を意識的に起こしたのはアメリカ人のパウンドである。彼はロンドンでヒュームたちと交わっていたが,その態度にあきたらず,もっと若いR.オールディントンとH.D.(ヒルダ・ドゥーリトル)を集めて,イマジズムの運動を12年に起こした。その三原則は〈主題を直接に扱うこと〉〈提示に役立たない言葉を全部はぶくこと〉,そして〈従来のメトロノームのような韻律によらないで,自由な音楽のフレーズで詩を書くこと〉だった。彼は詩集《当意即妙Ripostes》(1912)の末尾に〈ヒュームの全作品〉と銘うって5編の短詩をのせ,これらをイマジストLes Imagistesの最初の作品と紹介した。パウンドがわざとフランス語を使ったのは,いかにフランスの新詩運動に対抗意識をもっていたかを示している。パウンドの世代の作品は,同年10月にシカゴで刊行され始めた《ポエトリー》誌に相次いで紹介され,14年に《イマジスト詞華集Des Imagistes:An Anthology》として刊行された。これらを通じてイギリスよりもアメリカに多くの追従者を出すことになった。その後,アメリカの女流詩人A.ローエルが中心になって,《イマジスト詩人選Some Imagist Poets》(1915,16,17)が出され,伝統的な詩型から自由詩への転換のために大きな役割を果たした。この運動が終わったあとも,イマジズムの原理はさまざまな形で現代詩に生きつづけた。説明的な叙述でなしにイメージの連鎖で書くパウンドの大作《詩篇》やエリオットの《荒地》もその延長であるし,またアメリカの話し言葉のリズムを生かしたW.C.ウィリアムズの自由詩も,イマジズムに触発されたものであろう。
執筆者:新倉 俊一
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…ニューイングランドの自然と,その自然に対峙する人間の姿を描いたフロストや,長編詩によって人間の激情を示すのを得意としたカリフォルニアのジェファーズも注目に値する。しかし20世紀アメリカ詩で最も注意すべき文学運動は,1910年代E.パウンドによって提唱されたイマジズムおよびボーティシズムの流れであろう。その主張は,描写を排除し,イメージ対イメージによる緊張関係から生じるエネルギーを重視せよ,ということであった。…
…しかし,近代で〈自由詩〉というときには,その創始者としてウォルト・ホイットマンをあげるべきであろう。そしてホイットマンとフランス象徴派の影響によって,自由詩ということをまっこうから唱えたのは,イマジズムの旗じるしをかかげた1910年代の英米の詩人たちで,この傾向は1920年代から30年代にかけてひじょうに強くなった。ことにイマジズムの深く浸透したアメリカ詩壇に,それが明白にあらわれている。…
…アイダホ州生れ。1908年にロンドンに渡り,先輩詩人のW.B.イェーツやT.E.ヒュームと交わり,英詩の変革を目ざしてイマジズムやボーティシズムの運動を起こした。しかしイギリスの文壇にいれられず,詩集《ヒュー・セルウィン・モーバリー》(1920)を残して同地を去った。…
…1904年ケンブリッジ大学を放校され,独学ののち,カナダやベルギーを放浪。ロンドンに戻って〈詩人クラブ〉を創立するが,09年脱会して文学サロンを開き,イメージの明確な短詩を発表,〈イマジズム〉創始の一端を担う。H.ベルグソンの知遇を得て,彼の哲学を信奉,《形而上学序説》の英訳を出し,またG.ソレルの《暴力論》の英訳も出版。…
※「イマジズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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