ウァレンティニアヌス(読み)うぁれんてぃにあぬす(英語表記)Valentinianus Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウァレンティニアヌス」の意味・わかりやすい解説

ウァレンティニアヌス(1世)
うぁれんてぃにあぬす
Valentinianus Ⅰ
(321―375)

ローマ皇帝在位364~375)。パンノニア出身。皇帝ヨウィアヌスFlavius Jovianus(331ころ―364。在位363~364)の親衛隊の一士官であった。帝の死後皇帝に選ばれると、弟のウァレンスを東の共治帝とし、彼自身は西方統治した。残酷で短気であったといわれるが、貴族の不正を正し、下層民保護のための政務官創設、宗教面でも寛大な姿勢を示すなど善政を行った。彼の時代には異民族の侵入や反乱が絶えなかったが、彼はそれらの鎮圧に尽くし、ガリアのアラマン人との戦いをはじめ、イリリアブリタニアアフリカなど各地で交戦、多大の戦果を収めた。375年グアディ人との戦争のおり、その使者との会見中に卒中で急死した。

[島 創平]


ウァレンティニアヌス(3世)
うぁれんてぃにあぬす
Valentinianus Ⅲ
(419―455)

西ローマ皇帝(在位425~455)。コンスタンティウス3世とガッラ・プラキディアGalla Placidiaとの間の子。初めはプラキディア、ついで将軍アエティウスの手に帝国の実質上の支配権があり、自立後も両者の影響力は強かった。テオドシウス2世の娘エウドクシアをめとってビザンティン帝国との友好関係を保ち、敬虔(けいけん)な君主として属州教会に対するローマの司教の優位性を認める一方、アフリカ、ブリタニア、スペイン、ガリアの治安維持に腐心し、各種の立法により、統治、防衛組織を整えた。454年、フン人に勝利を収めたアエティウスを暗殺したため、翌年その家臣に復讐(ふくしゅう)されて、殺された。

[長谷川博隆]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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