ウィーヘルト(読み)うぃーへると(英語表記)Johann Emil Wiechert

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィーヘルト」の意味・わかりやすい解説

ウィーヘルト
Wiechert, Ernst

[生]1887.5.18. 東プロシア,クラインオルト
[没]1950.8.24. スイス,ユリコン
ドイツの作家。ケーニヒスベルク大学を卒業後,第1次世界大戦に従軍,負傷して退役したのち,教職につきながら創作を開始。『逃走』 Die Flucht (1916) ,『森林』 Der Wald (22) ,『神の僕アンドレアス・ニーラント』 Der Knecht Gottes Andreas Nyland (26) ,『イェーダーマン』 Jedermann (32) などの小説を発表。 1933年に教職を去ってバイエルンに移住。ミュンヘン大学で2度にわたる講演『詩人と青年』 Der Dichter und die Jugend (33) ,『詩人とその時代』 Der Dichter und seine Zeit (36) を行い,権力妄想,ユダヤ人排斥に抗する態度を示し,38年にはこれらの言動がもとでナチスに逮捕され,ブーヘンワルト強制収容所に4ヵ月間拘禁された。釈放後この体験をひそかに小説『死者の森』 Der Totenwaldにまとめ,第2次世界大戦の終結直後に発表 (45) 。主著『ユルゲン・ドスコチルの女中』 Die Magd des Jürgen Doskocil (32) ,『少佐夫人』 Die Majorin (34) ,『単純な生活』 Das einfache Leben (39) ,『イェローミンの子ら』 Die Jerominskinder (2巻,45,47) ,『無名ミサ』 Missa sine nomine (50) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィーヘルト」の意味・わかりやすい解説

ウィーヘルト(Johann Emil Wiechert)
うぃーへると
Johann Emil Wiechert
(1861―1928)

ドイツの地球物理学者。ティルジット(現、ロシア領ソビエツク)の生まれ。ケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)に学び、1905年ゲッティンゲン大学教授となった。地震波を用いて地球の内部構造を解明する数学的理論を研究し、1886年に、岩石質マントルの厚さは約1200キロメートルで、それが鉄の核を包んでいるという学説を発表した。マントルと核の区別が確立したのは、その後の地震波の解析による。また地震計の数学的理論についても詳しい研究を行った。ウィーヘルトの地震計は「煤(すす)書き方式」(煤を付着させた紙などを針で削り、地震の揺れを記録する方式)の機械的地震計としては最良といわれ、日本でも各測候所で長い間使われていた。

[藤井陽一郎]


ウィーヘルト(Ernst Wiechert)
うぃーへると
Ernst Wiechert
(1887―1950)

ドイツの小説家。オスト(東)プロイセンのクラインオルト(現ポーランド)に生まれる。1911年から33年まではケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)とベルリンで高校教師を務め、33年以降はオーバー(上)バイエルンに住んで文筆活動に専念したが、第一次世界大戦中は兵役にも服した。ナチスの時代には国家の政策を批判し、38年にはブーヘンバルトの強制収容所へ送られ(そのときの体験は『死者の森』という作品に書かれて45年に出版された)、ここから釈放されたのちもゲシュタポの監視下における生活を強いられた。48年スイスに移住し、2年後にチューリヒ湖畔のユリコンで没した。作風には倫理的、主情的な傾向が強く、代表的な仕事に『ドスコツィルの女中』(1930)、『単純な生活』(1939)、『イェローミンの子ら』(1945~47)、『無名のミサ』(1950)などの長編小説がある。

[田口義弘]

『野島正城訳「森林と人々」(『現代ドイツ文学全集 13』所収・1953・河出書房)』

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