トゥーラ(読み)とぅーら(英語表記)Тула/Tula

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥーラ」の意味・わかりやすい解説

トゥーラ(メキシコ)
とぅーら
Tula

メキシコ中部のイダルゴ州にある、トルテカ文化の中心地とされる遺跡。主要部は約300メートル×600メートルの広さをもつ。約100メートル四方の大広場の東に、ピラミッド形の基壇C、北に戦士の石柱の立つ基壇B、さらにその西に多くの列柱をもつ「宮殿」が位置する。基壇Bの北には浮彫り漆食(しっくい)の壁コアテパントリがあり、そのさらに北に小広場を隔てて長さ60メートルのI字形球戯場がある。大広場の西と南、南西にも球戯場その他の基壇群がある。基壇Bの石柱に彫られた戦士は槍(やり)、投槍(とうそう)器、盾をもち、蝶(ちょう)形の胸飾りその他で身を飾っている。宮殿と基壇Cからは、仰臥(ぎょうが)して上半身を起こし、腹に鉢をのせた人物のチャクモルとよぶ石彫が発見されている。

[大貫良夫]



トゥーラ(ロシア連邦)
とぅーら
Тула/Tula

ロシア連邦西部、トゥーラ州の州都モスクワの南、オカ川支流ウパ川の河岸にある。人口51万3100(1999)。16世紀末以来、ロシアの古い製鉄中心地で、1713年ピョートル大帝により兵器工場が当地に建設された。現在はロシアの工業都市の一つで、鉄鋼、機械(コンバイン、繊維機械、道路工事用機械、ラジオ、スクーター、武器)、軽工業、食品工業が発展している。また、サモワール(ロシア特有の湯沸かし器)、猟銃バヤン(ロシアの弦楽器)の生産には伝統がある。市は12世紀より知られ、16世紀はタタール人の侵入に対してモスクワを守る防御地点として重要であった。市内に16世紀建造のクレムリン(城塞(じょうさい))、18世紀建立のウスペンスキー寺院が保存されている。市の主要な教育・文化施設は、工科医科、教育の各大学や兵器博物館。郊外のヤースナヤ・ポリャーナはトルストイの生地で博物館がある。鉄道分岐点で、モスクワとシンフェロポリを結ぶ幹線鉄道、道路が市を経由している。

[中村泰三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トゥーラ」の意味・わかりやすい解説

トゥーラ
Tula

ロシア西部,トゥーラ州の州都。モスクワの南約 170kmにあり,オカ川支流ウパ川にのぞむ。 1146年の記録に現れる古都で,モスクワの隆盛とともに重要性を増し,16世紀にはタタール人の侵攻に対するモスクワ南方の防衛拠点となった。 1530年建造の石造の要塞が保存されている。 17世紀にはロシアの主要な鉄冶金都市となり,1712年ピョートル1世によりロシア最初の兵器工場が建設された。現在,鉄鋼,コンバイン,道路建設用機械,繊維機械,ラジオ,ゴム製品,猟銃などの工業があり,サモワールの製造で知られる。ポドモスクワ炭田の採炭中心地の一つで,褐炭の採掘が行われ,化学工業用に利用される。医学,鉱業,教育の各大学,兵器史博物館などがあり,郊外にはトルストイの生地ヤースナヤポリャーナがあって,その生家は現在記念博物館となっている。鉄道分岐点で,モスクワとウクライナのシンフェローポリを結ぶハイウェーが通る。人口 50万1129(2010)。

トゥーラ
Tura, Cosmè

[生]1430頃. フェララ
[没]1495. フェララ
イタリアの画家。フェララ派の代表的画家。Cosmèは Cosimoとも書く。アンドレア・マンテーニャピエロ・デラ・フランチェスカの作品に影響を受けたと推定されている。フェララのエステ公ボルソ,エルコレ1世の宮廷画家として寓意的で装飾的な絵画を得意とした。サン・ドメニコのサクラーティ礼拝堂の装飾(1467~68)や『エルコレ1世とルクレツィア・デステの肖像』は失われたが『ロベレラの祭壇画』(1472頃,ロンドン,ナショナル・ギャラリー,パリ,ルーブル美術館などに分散),『聖ゲオルギウスと竜』(1469,フェララ大聖堂美術館)などが現存する。

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