ウルバヌス8世(その他表記)Urbanus Ⅷ

改訂新版 世界大百科事典 「ウルバヌス8世」の意味・わかりやすい解説

ウルバヌス[8世]
Urbanus Ⅷ
生没年:1568-1644

ローマ教皇在位1623-44年。フィレンツェの名門バルベリニ家の出身で学芸・美術に造詣が深く,1606年枢機卿,08年スポレト司教,17年ボローニャの教皇特使,23年教皇となる。多くの聖人を列聖して聖別法を制定,聖マリア訪問童貞会やバンサン・ド・ポールのラザリスト会などの新修道会の認可,伝道のためのウルバノ大学の設立,聖務日課書の改訂,ヤンセンの著書《アウグスティヌス》の発禁など,教会改革には熱心であった。ガリレイに対しては好意を持っていたが,33年の第2回目の裁判で彼の地動説を撤回させた。三十年戦争時代の複雑な政局のなかで中立政策をとろうとして,かえってフランスの枢機卿宰相リシュリューの反ハプスブルク政策を後援する結果となった。36年ケルンに平和会議を招集しフランスとドイツとの和解を図って失敗し,またその門閥主義のためにローマ人の共感を失いパルマとの不幸な戦いを惹起した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウルバヌス8世」の意味・わかりやすい解説

ウルバヌス8世
ウルバヌスはっせい
Urbanus VIII

[生]1568. フィレンツェ
[没]1644.7.29. ローマ
イタリア人の教皇 (在位 1623~44) 。本名 Maffeo Barberini。在仏教皇大使を経て 1605年枢機卿。ウルビノを併合して教皇領は最大限に達した。三十年戦争では教会政策を誤り,44年カストロ戦争にも敗れた。 32年ガリレイ裁判,42年ヤンセニウス派反駁の大勅書 In eminentiを発した。枢機卿に対する Eminentiaの称号を定めたほか,G.L.ベルニーニを起用するなど芸術を奨励し,26年ウルバノ学院 (プロパガンダ大学) を創立した。

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世界大百科事典(旧版)内のウルバヌス8世の言及

【ガリレイ】より

…さらに32年には地動説的な宇宙論を全面的に展開した《天文対話》を発表した。しかし《天文対話》は時の教皇ウルバヌス8世の忌諱(きい)に触れ,翌年彼は異端審問所から断罪され,地動説を誓絶させられた。この結果彼はフィレンツェ郊外のアルチェトリに蟄居(ちつきよ)させられたが,その旺盛な研究への情熱はほとんど衰えを見せず,38年には静力学と動力学の成果について体系的に論じた《新科学講話》を教皇庁の権力の及ばない新教国オランダから出版した。…

※「ウルバヌス8世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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