ドイツの政治家。バイエルンのフュルトに生まれる。第一次世界大戦に参加したのち、ニュルンベルクとフランクフルトの大学で経営学および社会学を学び、1928~1942年ニュルンベルク経済観測研究所に勤めた。第二次世界大戦後アメリカ占領軍当局の経済顧問を経て、1945~1946年バイエルン州政府の経済相、1948~1949年統合経済地域経済管理庁長官に任命され、1949年ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)成立とともにアデナウアー内閣の経済相に就任した。「社会市場経済」を唱え、西ドイツ経済復興の立役者としての評判を得た。1963年アデナウアーが退陣したのち、後継首相に選出され、1966年にはキリスト教民主同盟(CDU)総裁の地位も獲得した。しかし、もともと党内にはエアハルトの政治的指導に疑問を示す者が多く、とくに1966年ノルトライン・ウェストファーレン州選挙でのCDUの敗北は、彼の党内での地位を低下させた。1966年、予算問題をめぐって連立与党の自由民主党(FDP)が閣僚を引き揚げたため、首相を辞任し、翌1967年にはCDU総裁の地位も手放した。
[深谷満雄]
1897~1977
ドイツの政治家。元来は経済学者で1928~42年ニュルンベルク商科大学景気研究所にあり,45年ミュンヒェン大学教授となった。ナチス崩壊後アメリカ占領軍に起用されバイエルン州経済相,ついで西欧側の統合経済地域の経済行政を担当,49年ドイツ連邦共和国が成立するとキリスト教民主同盟から議会に出馬し,49年9月以来経済相として西ドイツ経済を指導し,「奇蹟的復興」を実現した。その指導理念「社会的市場経済」とは,自由市場経済と社会国家的配慮の結合を意味する。63年アデナウアー引退後はその後継者となり,66年まで首相の地位にあった。
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