日本大百科全書(ニッポニカ) 「ええじゃないか」の意味・わかりやすい解説
ええじゃないか
1867年(慶応3)夏から翌年の春にかけて、神符の降下を契機に東海、近畿地方を中心に起こった熱狂的乱舞を伴う民衆運動。その際の民衆の唱えたことば「ええじゃないか」が、この運動全体をさすようになった。1867年の7月から8月にかけて東海道筋の宿場、見付(みつけ)、御油(ごゆ)、吉田、藤川などで発生した。範囲は、東は江戸、西は広島、南は和歌山、四国の室戸(むろと)、北は京都府、兵庫県の日本海沿岸、それに信州松本あたりまで及んだ。この民衆運動は御札(おふだ)などの降下に始まり、その御札を祭壇に納め祀(まつ)る。祭壇の前での祝宴と大盤ぶるまい、非日常的な女装・男装の男女の狂乱状態、彼らの唱えことばとしての「ええじゃないか」とか「ちょいとせ」などの大合唱と続く。狂乱状況は二夜三日あるいは六夜七日などで終わり、降下した御札は神社の境内などに納められる。民衆の意識としては、この御札の降下に世直しをみていた。御札類の降下は人為的になされたものであり、それには倒幕派の志士、神宮の御師(おし)などが関与したものと思われるが、いまだ確証はない。民衆が御札の降下により、それを意図した側の考えた以上に熱狂、狂乱のうちにのめり込んでいった点に幕末の民衆の置かれていた状態をうかがうことができる。なお、「ええじゃないか」という唱えことばは近江(おうみ)から西にみられ、東ではこれを豊年踊、御札祭、おかげ祭、おかげ踊、チョイトサ祭、ヤッチャロ祭などとよんでいた。
[西垣晴次]
『西垣晴次著『ええじゃないか』(1973・新人物往来社)』▽『藤谷俊雄著『おかげまいりとええじゃないか』(岩波新書)』