出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランスの政治家、登山家。リヨンに生まれる。科学と法律を学び政治家を志す。16歳より登山を始め、1944年ブレンバ氷河経由でモンブランのプトレイ稜(りょう)登攀(とうはん)。1950年リオネル、テレイ、ガストン・レビュファらとともに遠征隊長としてヒマラヤのアンナプルナに挑戦、人類初めての8000メートル峰登頂に成功した。帰途、凍傷で手足の指を失う。このときの記録『処女峰アンナプルナ』は名著として知られる。その後モンブラン山麓(さんろく)のシャモニー市の国立登山スキー学校の校長を務め、またスポーツ大臣としてスポーツの発展に貢献した。シャモニー市長も務めた(1968~1977)。
[徳久球雄]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1950年の春ダウラギリ山登頂を目ざしたフランス隊は,登頂ルートを発見できずアンナプルナ第1峰に目標を変更。リーダーのM.エルゾーグ以下,L.テレイら当時の世界のトップ・クライマーを擁するこの隊は,ナイロン素材による軽量化された優秀な装備を用い,ベース・キャンプから10日あまりの速攻で,6月3日人類初の8000m峰登頂に成功した。北面の大雪原と氷雪壁のルートを初登したエルゾーグとラシュナルの2人は,悪天に阻まれて悲惨な下降を続け,死の一歩手前で収容された。…
…第2次大戦まではこのほかK2,カンチェンジュンガ,ナンガ・パルバットなどの高峰への登頂が試みられたが,8000mの高峰は一つも登頂されなかった。50年フランスのM.エルゾーグ隊は鎖国を解いたネパールにはいり,アンナプルナ主峰(8091m)に初めて登頂した。これが人類初の8000m峰登頂であり,またこの隊はナイロン製のテントやロープなどを最初にヒマラヤで使用した科学的装備の隊であった。…
※「エルゾーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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