オコト・ビテック(英語表記)Okot p'Bitek

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オコト・ビテック」の意味・わかりやすい解説

オコト・ビテック
Okot p'Bitek

[生]1931.6.7. イギリス保護領ウガンダ,グル
[没]1982.7.20. ウガンダ,カンパラ
ウガンダの作家,詩人,社会人類学者。英語で執筆。最初の小説は母語のアチョリ語で書かれた『お前の歯は白いか,ならば笑え』Lak Tar Miyo Kinyero Wi Lobo(1953)で,農村から首都カンパラへ出て来た青年の夢の挫折の物語である。のちイギリスに渡り,ブリストル大学でキリスト教と歴史を,ウェールズ大学で法律を,オックスフォード大学で社会人類学を学んだ。アフリカの伝統文学,歌謡,踊り,音楽などに興味をつのらせ,「アチョリ族ならびにランゴ族の口承文学と社会的背景」(1963)で文学士号を得た(→口承文芸)。1964年に帰国,マケレレ大学で社会学を講じ,1966年にウガンダ国立劇場の主任,国立文化センター所長に就任したが,1968年に反政府的発言で解任された。その後ケニアのナイロビ大学の講師などを務めながら 11年間の亡命生活を送った。その間,アメリカ合衆国のアイオワ大学に招かれたこともある。1979年帰国。1980年マケレレ大学教授。代表作『ラウィノの歌』Song of Lawino(1966)と『オチョルの歌』Song of Ocol(1970)は,同年代の東アフリカの詩のなかで第一級のものとされる。ことに『ラウィノの歌』は,無学な妻からみた大学出の夫の奇妙な行動を異文化接触という観点からとらえたもので,そのイメージの生き生きとした描き方が注目された。これら詩小説ともいえる作品で,ラウィノはオチョルの第1夫人として伝統的・民族的価値を体現する女であり,西欧近代の価値に取り込まれ,アフリカの土壌とは無縁な根なし草になってしまった夫ならびに西欧化したアフリカ人を嘆き,揶揄し,嘲笑している。逆に『オチョルの歌』では教育を受けた新興エリートを代弁して,夫が妻に代表されるアフリカの「原始」「未開」「非文明」を嘲弄するのである。その詩は彼の出身民族であるアチョリ族の口承詩の伝統がよくいかされている点でも高く評価されている。ほかに詩集囚人の歌』Song of a Prisoner(1971),『わが愛の角笛』Horn of My Love(1973)があり,短編小説評論なども多い。とりわけ評論集『アフリカの文化革命』Africa's Cultural Revolution(1973)は重要作とされる。(→アフリカ文学

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