チェコ東部のモラビア中北部にある都市。ドイツ名オルミュッツOlmütz。モラバ川に沿い,人口10万0491(2005)。農業地帯の中心に位置し,農業機械製造,化学工業,繊維・食品工業が盛ん。町はロマネスク・ゴシック様式の教会・市役所などの歴史的建造物に恵まれ,記念物保護指定都市となっている。哲学・医学部をもつパラツキー大学(1569創立)がある。1063年にここに司教座が置かれ,オタカル2世治下の1253年から王国都市に昇格し,モラビア北部の行政・精神文化の中心となる。だが三十年戦争時,スウェーデン軍の攻撃を受け,モラビアの主都はブルノに移された(1642)。1777年に大司教座に昇格。18世紀末にはドイツ化が激しくなり,チェコ人民族覚醒運動の盛んなボヘミアとしばしば対立する中心地ともなった。その反チェコ人的姿勢のゆえに,1848年のウィーン革命でオーストリア皇帝フェルディナントはこの町に逃れたが,ここで退位を宣言することとなった。
執筆者:稲野 強
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
チェコのモラビア地方中部の都市。ドイツ語名オルミュッツOlmütz。人口10万3293(2001)。モラバ川とビストジツェ川の合流点に位置する。肥沃(ひよく)な農業地帯ハナー地方の中心都市。チェコの東西と南北を結ぶ交通の要地。11世紀に源を発し、1314年からはモラビアの首都となったが、三十年戦争でスウェーデン軍に破壊され、1641年に首都がブルノに移された。18世紀以降は、1777年に置かれた大司教座とオーストリアの要塞(ようさい)にみられるように、宗教的、軍事的な特色をもった。要塞のため都市の近代的発展は遅れ(1888年に要塞は撤去)、工業化は第一次世界大戦後に進んだ。現在は乳製品、蒸留酒、缶詰、製糖など食品工業の中心地である。プラハに次ぐ同国の古都として、11世紀来の聖バーツラフ大聖堂、13世紀来の市庁舎をはじめ、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック各期の歴史的建造物が多く残されている。1573年創建のパラツキー大学がある。
[中田瑞穂]
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