お陰参り(読み)おかげまいり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「お陰参り」の意味・わかりやすい解説

お陰参り
おかげまいり

江戸時代に起こった群衆による伊勢(いせ)神宮への参詣(さんけい)現象。記録に残っているものでも、慶安(けいあん)3年(1650)をその初めとして、宝永(ほうえい)2年(1705)、享保(きょうほう)3年(1718)、享保8年(1723)、明和(めいわ)8年(1771)、文政(ぶんせい)13年(1830)の6回にわたる。享保年間の二つは地域的なものにとどまり、宝永、明和、文政の三つは全国的な規模のもので約60年を周期としている。古くは伊勢神宮への参拝は、一般人はもちろん、皇族ですら制限されていた。しかし、平安末期ごろから社寺参詣風潮が広まり、民衆の参詣の対象となっていった。江戸時代には伊勢参りが盛んになった。こうしたなかで、特別の効験があるという60年に一度のありがたい年、つまりお陰年に対する期待と参宮とが結び付いて、お陰参りという集団参拝の現象が生じた。文政のときは4か月間に宮川渡船場を渡った者が約428万人だったという。

 これらの参宮人のために街道筋では施行(せぎょう)が行われた。そのために、旅費がなくても参宮できた。文政のお陰参りの特徴であった柄杓(ひしゃく)を手に持つ風俗は、施行を受けることから流行したものである。お陰参りにはかならずといってよいほど神異や奇瑞譚(きずいたん)が伴い、それが契機となっている。祓(はらい)の大麻札(たいまふだ)が降ったという、いわゆる御札降りの奇跡は、お陰参りを起こす常套(じょうとう)手段ともいえるほどであった。お陰参りでも、少年層が親や雇い主に無断で参宮することを抜け参りとよぶ。なお、慶応(けいおう)3年(1867)の「ええじゃないか」はお陰参りの伝統にのっとってはいるものの、政治的意図が強いということで、お陰参りとは区別して扱われているようである。

[佐々木勝]

『藤谷俊雄著『おかげまいりとええじゃないか』(岩波新書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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