日本大百科全書(ニッポニカ) 「サムニウム人」の意味・わかりやすい解説
サムニウム人
さむにうむじん
Samnites
古代イタリアで、中部イタリアに住んだイタリア人の一派。オスキ語を使用し、勇猛さで知られた山岳民族で、ローマと覇権を争った。山地から肥沃(ひよく)な平地を目ざして移動し、ギリシア文化に触れた。彼らのなかからカンパニア人、ルカニア人が派生する。カンパニアにおけるエトルリア人の勢力の退潮とともに強力となり、カンパニアを制圧した。国家的結合は緩かったが、四つの部族国家に分かれ、それぞれメディクス(政務官)が統治し、戦時には一致して事にあたった。紀元前4世紀中ごろのガリア人のイタリア侵入に際してローマと結んだが、その後ローマと敵対し、3回のサムニウム戦争(前343~341、前326~304、前298~291)のすえ、ローマの覇権が確立する。戦中・戦後の彼らの土地へのローマの植民地建設も目覚ましく、しだいに政治的発言権も失われてゆく。二、三の例外はあるが、第二ポエニ戦争(前218~前201)から同盟市戦争(前91~前88)に至るまでほぼローマに忠実であったが、たび重なる戦争のためその土地は荒廃し、同盟市戦争で敗れたのち完全にローマに繰り入れられた。
[長谷川博隆]