ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カントロビッチ」の意味・わかりやすい解説
カントロビッチ
Kantorovich, Leonid Vital'evich
[没]1986.4.7. モスクワ
ソ連の数理経済学者。 1930年レニングラード大学物理・数学部卒業。学生時代に射影集合論上の業績で国際的に知られ,32年母校の講師,34年教授。 35年論文審査なしに物理・数学博士号を授与され,1930年代後半には半順序空間における関数解析で一派をなした。 39年の論文『生産の組織化と計画化の数学的方法』 Matematicheskie metody organizatsii i planirovaniya proizvodstvaで世界にさきがけて線形計画法を開発,その後この手法はさらに深められ,59年の主著『社会主義経済と資源配分』 Ekonomicheskii raschët nailushego ispol'zovaniya resursovにおいて国民経済の最適化計画問題として定式化された。また,のちにそこで展開された「影の価格」 (カントロビッチの用語では「解決乗数」) 概念を用いて収益原則の社会主義経済への適用や経済管理分権化の問題が論じられ,60年代におけるソ連の経済改革にも大きな影響を与えた。 49年数学上の業績で国家賞受賞,64年ソ連科学アカデミー会員,65年レーニン賞受賞。資源の最適配分の理論への貢献により 75年 T.C.クープマンスとともにノーベル経済学賞受賞。
カントロビッチ
Kantorowicz, Hermann
[没]1940.2.12. ケンブリッジ
ドイツの法学者。フライブルク大学およびキール大学で教授をつとめ,1933年ナチスの政権確立に際しアメリカに亡命した。その後,イギリスに移り,37年以来ケンブリッジ大学で教職についた。自由法論の発展に貢献したことで名高く,「自由法論」「自由法運動」という名称は 06年に著わした『法学を求めての戦い』 Der Kampf um die Rechtswissenschaftに由来する。『法学と社会学』 Rechtswissenschaft und Soziologie (1911) において法社会学の必要性を強調した。
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