ソ連の数学者、経済学者。ネムチノフ、ノボジーロフと並んで、ソ連数理経済学派の創始者の一人。サンクト・ペテルブルグに生まれ、1930年レニングラード大学(現サンクト・ペテルブルグ大学)物理・数学部数学科を卒業。1934年22歳にして同大学教授に抜擢(ばってき)される。学生時代にすでに射影集合論で国際的に知られ、1930年代後半には、半順序空間における関数解析で一派をなした。1939年に発表した『生産組織と生産計画の数学的方法』は、線形計画(リニア・プログラミング)法の先駆的業績として欧米でも評価され、1975年クープマンスとともにノーベル経済学賞を受けた。彼の「客観的評価」概念はシャドー・プライスshadow price(影の価格、潜在価格)と同一のもので、これにより部分的最適を全体的最適に結合する分権的管理の基礎理論を提供した。1964年にソ連科学アカデミー(現ロシア科学アカデミー)会員となった。
[望月喜市]
『望月喜市訳「生産組織と生産計画の数学的方法」(岡稔訳『マルクス経済学の数学的方法 下巻』所収・1961・青木書店)』▽『吉田靖彦訳『社会主義経済と資源配分』(1965・創文社)』
ソ連の数学者,数理経済学者。ペテルブルグに生まれ,1930年レニングラード大学を卒業後,同大教授となる(1934-60)。64年からソビエト科学アカデミー会員。65年レーニン賞,75年ノーベル経済学賞を受賞。もともと数学者として出発し,集合論,関数解析などの分野で業績をあげたが,1939年線形計画法の数学的手法を開発し,工業生産計画への応用を可能にした。その方法は,第2次大戦中から戦後にかけて,ソ連における経済発展計画の策定に重要な役割を果たしただけでなく,資本主義的企業の計画理論に大きな影響を与えた。その後現在に至るまで,動学的最適計画,投資理論を中心として,社会主義経済における諸問題の理論的研究で主導的役割を果たしている。主著《生産の組織化と計画化の数学的方法》(1939),《資源の最適利用の経済計算》(1959)など。
執筆者:宇沢 弘文
ドイツの法学者。自由法運動の中心的論客であり,法社会学の発展にも寄与した。フライブルク,キール各大学の教授。イタリア刑法史の研究から出発し,法史学と刑法学の領域でも重要な業績を残したが,法学方法論に若いころから精力的に取り組んだ。彼の《法学のための闘いDer Kampf um die Rechtswissenschaft》(1906)は法に欠缺(けんけつ)がある場合の裁判官の法創造的役割を強調して,自由法論の口火を切った。E.ラスクやG.ラートブルフら,新カント派法哲学者の影響を受けて方法二元論,価値相対主義に立脚し,価値学としての法学と事実学たる社会学を区別したうえで両者の相互補完的関係を強調する。1933年ナチスの迫害を逃れて渡米したが,法学を事実学に還元するリアリズム法学には批判的であった。
執筆者:井上 達夫
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…そこに新しい時代潮流と呼応して起こった法曹の運動が自由法論である。カントロビチ,エールリヒ,フックスErnst Fuchsらが中心になったが,彼らは教会組織に反抗した〈自由宗教〉〈自由思想〉の運動とも連動しており,たんに法曹の中だけの運動ではなかった。とくにフックスはラディカルな運動の先頭をきり,法学教育の改革を唱えた。…
※「カントロビチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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